「どれだけバズるか」をキーワードに、ネット上で話題化するクリエイティブを生み出す「クライアントワーク事業」と、ゲーマーが新たな仲間を見つける場を提供し、継続動機を強力に高める「ゲームコミュニティ事業(Lobi)」を融合させ、「ゲームはやっぱり面白い」を広く世に浸透させていく……。そんな新たな施策を打ち出した、面白法人カヤックの「ゲーム宣伝部(ゲーセン部)」に所属する畑佐雄大が、自身が気になるクリエイターたちを直撃! その人となりを掘り下げていくインタビュー企画がこの「カヤックゲーセン部・畑佐が往く」である。
記念すべき第1回は、さまざまなローカライズ作品やオリジナル作品を世に送り出す新進気鋭のパブリッシャー「フライハイワークス」の代表取締役である黄 政凱氏が登場。お気に入りのゲームタイトルから起業当時の苦労話、そして今後の事業展開の展望まで、赤裸々に語っていただいた。
黄 政凱氏(写真左)
フライハイワークスの代表取締役。プロデュース、マーケティング、プロモーションなどを一手に引き受けつつ、これまでに約60本ものタイトルを世に送り出してきた気鋭のゲームクリエイター。
畑佐雄大氏(写真右)
カヤックのクライアントワーク事業部(以下CL事業部)プロデューサー。大手ゲーム会社でゲームプランナーとして、企画や制作を担当していた過去を持ち、カヤックで「ゲーム宣伝部(ゲーセン部)」を立ち上げた。
■YOUはどうして日本へ? 黄 政凱が「フライハイワークス」を立ち上げた経緯
畑佐雄大(以下、畑佐):黄さん率いるフライハイワークスさんは、さまざまなDLゲームのローカライズや開発を精力的に手掛けておられますよね。僕は先日、Nintendo Switchで配信された『神巫女』をプレイさせていただき、そのクオリティの高さに感動したんですよ。どんな方がプロデュースされているのかとても気になっていたので、今日お会いできるのを楽しみにしていました。どうぞよろしくお願いいたします!
黄 政凱氏(以下、黄):光栄です。こちらこそ、本日はよろしくお願いいたします。
畑佐:では、さっそくおうかがいしたいのですが、そもそも黄さんはどのような幼少期や思春期を過ごしてこられたのでしょう? その原点からお聞きしてよろしいですか?
黄:はい。私は両親が台湾人なのですが、自分自身は日本の大宮で生まれまして、日本で幼少期を過ごしました。10歳のとき、家族と一緒に台湾に戻ることになったのですが、それまでは日本語しかしゃべれなかったくらいです。台湾に戻ったあとで中国語を学び、25歳までは台湾で過ごすことになりました。大学に通い、兵役を務め、そのあと再び日本を訪れて今日に至る……そんな感じですね。今が37歳ですので、再来日してからもう12年が経つことになります。
畑佐:再来日されることになったきっかけはなんなのでしょう。やはりゲームクリエイターになるためですかね?
黄:ええ。ゲームの仕事に携わるために日本に来ました。野球であればアメリカのメジャーリーグですが、ゲーム開発であれば日本こそがメジャーでしたから。小さな頃から日本のゲームに触れていたことも大きいでしょうが、私にとってはやはり日本のゲーム開発こそが憧れでした。
畑佐:なるほど。では、再来日後は日本のゲーム開発会社に所属されたわけですね?
黄:ええ。日本の開発会社にプログラマーとして入社して、その後ディレクター的なお仕事も任せていただきました。そこで5年間経験を積ませていただき、独立してフライハイワークスを立ち上げ、おかげさまでそれから6年の間、このお仕事を続けさせてもらっています。
畑佐:ぶしつけな質問かもしれませんが、どうしてそこまで日本でゲーム業界に携わることを目指したのでしょう? そのきっかけが気になるのですが。
黄:ありていですが、幼い頃からゲームが身近にありまして、大きくなったらゲームクリエイターになりたいとずっと思っていました。親の都合で台湾に戻ることになりましたが、一度しかない人生ですし、自分の意思に従って道を決めようと考えた結果、日本に戻ることを決意したことは、自分にとってすごく自然なことですね。
畑佐:好きなことを仕事にしようと決意されたわけですね。でも、実際のところそれを実現するのは並大抵のことではなかったのでは?
黄:そうですね。ただ、台湾で「ゲーム」となると当時はPCゲームが主流でしたし、現在はスマホゲームの波が来ています。でも、わたしはコントローラで遊ぶゲームで育ったクチですから、それらのゲームを作りたいわけではなかったんですよね。それもあって、日本でゲームクリエイターになることには強くこだわりました。今では日本に帰化して、日本国籍で活動しています。6歳の頃、となりの山田くんの家で遊んでいた日本のゲームが私の原点なんです。
畑佐:おっと! それはものすごく日本的なカルチャーですね。「となりの山田くん」とおっしゃりたかっただけってことはないですよね?(笑)
黄:いやいや、本当におとなりさんは山田くんでした(笑)。彼の家にはたくさんのゲームがあったんですよ。具体的にはファミリーコンピュータですね。当時、小学生にとってファミコンのゲームやソフトって決して安くはなかったわけですが、山田くんの家は裕福でしたし、ご両親もゲームへの理解が深かったので、たくさんのゲームソフトがそろっていました。それをゲームソフト専用のトランクに入れて持ち運んでいたりして。
畑佐:あ、わかります! ファミコンのソフトを20本くらい収納できる専用のトランクケースがありましたよね。そんなものまでお持ちということは、裕福かつゲームに理解のあるご家庭だったというのも頷けます。
黄:彼の家には本当にたくさんのゲームがあったので、友だちみんなで遊びに行っていました。赤外線を利用して連射する機能がついた「レーザーコマンダー」というパッドなど、不思議なグッズも持っていましたね。
畑佐:そんなものまであったんですか? ハドソンのジョイスティックなんかは知っていますけど、赤外線でとなると聞いたこともないですね。でも、黄さんが昔からゲームが大好きだったことはハッキリわかりました。
■身体にはセガの血が流れている!? フェイバリットゲームに『ナイツ』を選ぶその理由
畑佐:では、そんな黄さんが思い入れの強いゲームソフトを1本だけ選ぶとなると何になるでしょう?
黄:たくさんありますけど、1本となるとセガサターンの『NiGHTS into Dreams...(以下、ナイツ)』ですかね。これは台湾に帰ってからプレイした作品なのですが、その世界観に圧倒されました。
畑佐:わかります。僕も大好きなタイトルでした。もしかして、セガのゲームがお好きだったりするんですか?
黄:大好きです。当時、私の周りのゲーマーたちはみんなPlayStationを持っていたのですが、私はセガサターン派でした。みんながPlayStation2を遊んでいるとき、1人でドリームキャストで遊んでいましたからね(笑)。正直マイナーではありましたが、『バーチャファイター』を追いかけ続けていたらそうなってしまったというか。
畑佐:なるほど。『バーチャファイター』もまた、黄さんにとって人生の1本と言えそうですね。じつは僕もセガが今も昔も大好きなので、シンパシーを感じます。やはり、『ナイツ』に受けた影響は大きかったですか?
黄:それはもう! あのゲームには無限の夢が詰め込まれていました。あれほど「ドリーム」があふれる世界を、こんなにも真面目に作り上げてしまう大人たちがいることに感動したんです。日本もそうだったと思うのですが、あの頃は台湾も詰め込み型教育が主流だったというか、「勉強ができるのなら弁護士や医者になりなさい」という風潮が強くありました。でも、そんな中で私は「生活していくにあたって必需品ではない“ゲーム”というものに、これだけの情熱や魂を注ぎ込める人間が日本にいる」という事実に衝撃を受けたんです。『ナイツ』を遊んだときは中学生か高校生くらいだと思うのですが、エンディングの「Dreams Dreams」を聴いたときに涙が流れるほど感動しましたし、「将来は自分もこうやって誰かを感動させたい」と強く心に刻みました。
畑佐:ものすごくピュアな動機ですね。それを「フライハイワークス」という会社を立ち上げて実現しているのが本当にスゴい。
黄:ちなみに、事業を立ち上げるにあたって「フライハイワークス」という社名を付けたのも、じつは私がセガ派であるがゆえなんですよ。
畑佐:そうなんですか? ぜひ聞きたいです。
黄:セガのアクションゲームに『バーニングレンジャー』という作品があります。そのテーマソングが「Burning Hearts ~炎のANGEL~」というんですけど、曲の歌詞に「フライハイ」という単語が使われているんです。これがものすごく大好きな楽曲で、歌詞もとても印象深かったので、僭越ながら社名に取り入れさせてもらいました。
畑佐:ものすごく濃い命名理由ですね!? でも、「フライハイ」という単語からは『ナイツ』の飛翔感も感じられますし、素晴らしい社名だと思います。
黄:ありがとうございます。
■学生時代から行動力はケタ外れ!? 重要なのは「挑戦して前に進むこと」
畑佐:黄さんの学生時代における、周辺のゲーム事情というのはいかがなものだったんですか? やはり、ゲーム好きな友だちがたくさんおられたわけですかね?
黄:正直にいうと、私が感染源となって周りに広めていったところはありましたね。通っていた高校にはなかったゲーム部を、私が発起人となって立ち上げたり、セガサターンの『サターンボンバーマン』を学校のプロジェクターを使って巨大スクリーンに投影し、10人対戦を行ったりしていました。
畑佐:ステキな学生時代ですね。お話を聞いているだけで黄さんの行動力のすごさが伝わってきます。日本に来て起業までしてしまうのも納得ですね。実際のところ、最初に就職した開発会社に骨を埋めようと考えるクリエイターも少なくないと思うのですが、黄さんは最初から起業することまで考えておられたのでしょうか?
黄:そうですね。言葉を選ばずにいうと、私はある意味台湾を捨てて日本に来たという部分はありましたので、なんらかの爪痕というか、足跡を残さなくてはならないと思っていました。両親や親族にわかりやすい成果を示して安心させたかったという側面もあります。
畑佐:自分の会社を立ち上げ、自分が好きなタイトルをリリースしていくというのは、その決意に裏打ちされていたんですね。
黄:わざわざ台湾からやって来て、ほかのクリエイターと同じことをしても仕方がないというか……。漠然とした言い方ですけど「突き抜けなくては意味がない」と思っていました。
畑佐:起業されるにあたって、苦労された部分も数多くあったのでは?
黄:もちろんです。フライハイワークスは2011年に立ち上げまして、2013年にパブリッシャーとしての活動を開始しました。今でこそニンテンドー3DSやNintendo Switchなど、任天堂さんのハードにゲームソフトを供給できていますが、2012年までは、まだソフトを自社でパブリッシュするなどの事はできていませんでした。
畑佐:なるほど。ちなみに、最初は日本の作品を英語向けや中国語向けにローカライズすることを中心に活動されていたんですよね?
黄:ええ。ローカライズ作品を配信することで、文字通り食いつないでいた状況でした。私にとって、一番辛かった時期といえますね。
畑佐:それは、金銭的に辛かったという意味ですか?
黄:金銭的にもそうですが、それより「何もできることがない自分」に対する焦燥感がキツかったんですよね。当時、いろいろな形で暗中模索を続けてはいましたが、軌道に乗ることは簡単ではなくて、どんどん自信を失っていってしまったんです。深夜、コンビニに買い物に出かけた帰り道に路上で「俺はこのままでいいのか?」と自問しては、「いいや、大丈夫だ。きっとなんとかなる」と自答するといった、かなり追い込まれていた時期です。
畑佐:でも、そこから立て直したからこそ今がある。
黄:ええ。ローカライズ作品の配信などで、少しずつ実績を積み重ねてこその今ですね。おかげさまで、今ではオリジナル作品も手掛けられるほどになってきています。
畑佐:かなりお忙しい日々を過ごしておられるのでは?
黄:そうなんですけど……忙しいなんて言うとバチが当たりますよ。疲れたときは、あの何も出来ることがなかった自分が歩いたコンビニへの夜道を思い出します。そうすると「こんなところで立ち止まってはいられない」と奮い立つんです。朝目が覚めても、一日何もやることがない……そんな生活がずっと続く恐怖を思い出せば、大概のことはがんばれる気がしますね(苦笑)。
畑佐:苦労されてきたからこその重い言葉……。僕から見て、黄さんはご自身でなんでもこなしておられる印象があります。代表取締役にしてゲームプロデューサーであり、ご自身でプロモーションも手掛けては、プログラムまで書けてしまうわけですから。
黄:そうですね。でも、そうして自分が関わることで世に送り出すことができたゲームを眺めるとホクホクできるんですよ。悦に入るっていうんですかね……ニヤニヤしてしまいます。
畑佐:それだけ精力的に動いておられるわけですから、それは感動もひとしおでしょうね。
■ニンテンドー3DS用ソフト『魔女と勇者』がもたらしたモノ
畑佐:ちなみに、先ほど「沼」という表現を使われておりましたが、その沼を抜け出すきっかけというのはなんだったのでしょうか?
黄:僕自身はまぐれだと思っているんですが、ニンテンドー3DSで初めて配信したDLゲーム『魔女と勇者』がスマッシュヒットを飛ばしたときですね。こちらは14万DLを記録して、セールスとしてものすごくうまくいったタイトルなんですけど。このヒットは実力というよりは、あのときニンテンドー3DSのDLゲーム市場そのものがすごく活気づいていた時期だったので、うまくその波に乗れたことが一番大きかったと感じています。このタイミングに参入することができたのが、ものすごく幸運でしたね。
畑佐:でも、それもひとえにローカライズ作品を提供し続けて、地道に実績を重ねたからこそなわけですよね? そう考えると、単なる棚からボタ餅ではなかったのではないでしょうか。
黄:そうですね。でも、やっぱり運の要素は大きかったですよ。『魔女と勇者』には原作があって、もともとは個人が制作されたアプリゲームだったんですよね。ある日、たまたまベッドの中で寝る前にこのゲームをプレイして、あまりのおもしろさに心を打たれまして。翌日、すぐに原作者の方に連絡してアポをとり、「このゲームをフライハイワークスで3DS用に作らせてほしい」と依頼したところ、こころよくOKをいただけたんです。幸運でした。
畑佐:なるほど。その原作者の方とはまだ交流は続いているのでしょうか?
黄:もちろんです。『魔女と勇者』のアプリ版は『1』と『2』が出ていて、その両方を我々が3DS用に作らせていただきました。じつは次回作も構想しているのですが、そちらに関しては、すでにその原作者の方から「フライハイワークスさんが自由に作ってくれて構いませんよ」という承諾をいただいています。
畑佐:それだけの深い信頼関係を構築できているわけですね。
黄:すごくやりやすい関係で、とてもありがたいお話しです。もちろん、3DS版を開発するにあたってギリギリまで調整を続け、ご満足いただけるものに仕上げられたからこそだとは思いますが……。我々にとって、3DSにおける初めての配信ゲームを、この方とご一緒できて本当に幸運でした。
畑佐:運命の出会いですね。
黄:はい。弊社は『魔女と勇者』から始まったといっても過言ではないので、本当に感謝しています。
畑佐:フライハイワークスさんは、ローカライズ作品も含め、今なお多くのDLゲームを配信されていますが、これらはどうやって目利きされているんですか? 海外のゲームも数多く発掘されてきていますよね?
黄:香港に社屋があるCIRCLE ENTERTAINMENT(サークルエンターテイメント)という企業と密に連絡を取らせてもらっていて、そこがたくさんのアプリやインディーなどのゲームを見つけてきてくれるんですよ。そのうえで、内容の吟味を私に任せてくれるんです。そうして実際にROMを私がプレイしたり、映像を拝見したりして「これは売れると思うので契約を取ってきてください」とお願いしたら、なんとか契約を取ってきてくれる。そして、実作業は弊社担当の部分ですので、我々としてはそれをゲームとしてしっかりと味付けし、世に送り出すことで利益を得ています。
畑佐:実際、遊んでみて「これだ!」と確信する理由というか、黄さんの目利き論について教えていただけないでしょうか?
黄:目利きというほどの確立された何かはありませんね。感覚として「これは楽しい」と思ったものをチョイスしているだけなんですよ。マーケティングを考えて……とか、ユーザーの需要がこうだから……といったデータを重視しているわけではないです。
畑佐:なるほど。その嗅覚の鋭さが、フライハイワークスのエンジンとなっているわけですね。
■「ゲームに携わり続ける」ことへのこだわりとは
畑佐:ちなみに、そういったローカライズ作品のみならず、オリジナル作品も手掛けておられますよね。たとえば、冒頭でお話にあがった『神巫女』とか。
黄:『神巫女』はたしかにオリジナルタイトルの部類ではありますが、こちらは開発を手掛けたスキップモアさんの力が大きいので……。そういう意味では、これまでに60本ほどのタイトルを世に送り出していますが、こと「フライハイワークスのみの力」で送り出せたタイトルというのは1本もないんですよね。これは私が抱えている「自信のなさ」から来る部分も大きいです。
畑佐:自信のなさ、ですか?
黄:ええ。これまでにプログラマーやディレクターとしてゲーム業界に携わってきてはいますけど、自分が開発に関わることで面白いものを作れる自信がないんですよね。情熱だけはあるつもりですけど、それだけを前に出して作った作品がおもしろさに結びつくというのは、極めて稀であることが客観的に見てよくわかったんです。
畑佐:小さい頃から憧れていた「ゲームクリエイターになる」という夢と、一見矛盾しているようにも聞こえたんですが……その辺りはどうでしょう?
黄:必ずしもそんなことはありませんよ。ゼロから作品を生み出す才能はないかもしれませんが、作品を着地させること、その着地点を見定める能力については自信がありますので。
畑佐:野球でいうところのクローザー。いわゆるフィニッシャーとしての能力ということですね。
黄:はい。ここに関しては多分得意なのかな……と自負していますので。だから、下手に「ここはこうしたほうがいいんじゃない?」とクリエイティブに口を出すことは極力控えて、ゲームを着地点まで導くこと、そしてプロモーションといった開発以外の部分に労力を割こうと心掛けています。
畑佐:わかってはいても、実際に行動に移すのは難しいように思います。矛盾を感じたりすることはないのでしょうか?
黄:矛盾を感じることはありますね。これが自分が求めていた才能であるかはまた別のお話しですし、諦めととらえることもできると思います。個人的にはもっとイラストを描いたり、ゲームのアイデアを出したりしてみんなを牽引できれば……と思ってはいました。でも、そこを諦めたからこそ成功に繋がった部分は否定できませんので、甘んじて受け入れているつもりです。
畑佐:矛盾こそ感じるもののそこに葛藤はない、ということですか?
黄:ええ、葛藤はないですね。なんといっても、ゲームのお仕事には携われているわけで、自分にとってこんなに幸福なことはありませんから。
畑佐:なるほど……どんなことでもいいからゲームの仕事に携わる。その夢からはなんらズレはありませんよね。むしろ適材適所というか、自分の得意な部分を見極めて立ち回られている。
黄:性分としてせっかちなところもあるので、そういう意味でも開発の中に入るというのは向いていないように思います。1つのゲームに2年も3年も携わり続けるよりは、たくさんのゲームに広く浅く関わって、日々新しいことに挑み続けていくほうが性にあっています。じつは、自分としてはとてもおいしいポジションに立たせてもらっていると考えています。
畑佐:おいしいポジションですか……。厨房で例えるなら、1つの料理だけを作り続けるというより、さまざまな料理を味見してお客さんに提供できるかを吟味する立場なわけで、おもしろい部分ばかり食べられるという意味では、たしかにおいしいポジションかもしれませんね。
黄:それどころか、時には出された料理に文句を言ったりもしちゃうわけですから(苦笑)。これはやはりおいしいポジションですよね。なんであれ「ゲームに携わっていたい」という根っこの部分については昔から一貫して変わっていません。
畑佐:それもひとつの「ゲーム愛」のカタチですよね。
■これからのフライハイワークスの展望を聞く
畑佐:では、ここでフライハイワークスの今後の展望をお聞きしたいのですが。
黄:「フライハイワークスって何?」と言われることがなくなるようにすることが目標です。現状はフライハイワークスのことを知らないゲームユーザーさんが大半だと思うんですよ。マニアックな部類を出られていないと自覚しています。そのうえで、出来るだけたくさんのゲームに関わり続けていきたい。それはオリジナル作品はもちろん、ローカライズ作品にも同じことがいえますね。
畑佐:フライハイワークスだからこそ、ローカライズのクオリティを担保できるという部分はありますよね。それだけの実績を重ねてこられているわけですから。
黄:我々だからこそ到達できるクオリティというものにはこだわりたいです。ローカライズのお仕事、翻訳のお仕事というものは、出来るだけ透明度が高い方がいいんですよ。ただ、現実問題として翻訳というフィルターが入ることで、なんらかの雑味が混じってしまうことは否定できません。でも、それを仕方がないと諦めるのではなく、少しでも純度を高められるように細心の注意を払うことはできるじゃないですか。それを怠ることは絶対にしたくないな、と。
畑佐:なるほど。あとは、パッケージ販売へのこだわりというか、野望があったりはしないんでしょうか?
黄:たとえば100万本売れるようなタイトルであれば、パッケージとして販売する判断もできますけど、弊社のような小~中規模の販売形態においては、あまり現実的ではないように感じています。ただ、モノとして残り続けるということへの憧れはもちろんありますよ。それこそ、我々が思い描くゲームってROMカセットであったり、CD-ROMだったりと形があるものでしたからね。
畑佐:そうですよね。僕もかつてゲーム会社に所属していた頃、アーケードゲームの開発に携わっていましたが、アーケードゲームって時間が経過すると撤去されてしまうじゃないですか。その点、パッケージゲームはずっとそこにあり続けるわけで、その違いを認識したときはうらやましく思ったものです。パッケージに対して強い憧れを抱きました。
黄:わかります。我々としても、作ったものが何も形として残らないというのは悲しいことなので、最近は採算を度外視してサウンドトラックだけは作るようにしてみました(笑)。ただ、時代の流れとして今後はますますダウンロードの比重が増え、パッケージ版のマーケットは縮小していくのは間違いないでしょう。それをイチゲームファンとして、寂しくとらえてはいます。
畑佐:おっしゃる通りですね。僕としても寂しいですが、時代の流れは確実にDL販売にシフトしていくんだと思います。
黄:ただ、夢というか野望についての質問ですから、思うままに返答させてもらえるのならば。あえて「いつか100万本売れるようなゲームに携わってみたい」と、口にはしておきたいですね。
畑佐:おお、ミリオンセラー。先ほど「100万本売れる作品であればパッケージ販売もアリ」とおっしゃっていましたし、その時は初めてパッケージ化も実現できるかもしれませんね。
黄:体験版を合わせてのミリオンセラーでもいいですから……いつか実現できませんかねぇ。できるといいなぁ……。
畑佐:あながち、絶対に無理だと思っているわけでもなさそうな空気を感じますよ。ちなみにパッケージのお話からはズレますが、スマホのアプリゲームであれば100万DLというのはまだ現実味があるのではないですか?
黄:そうですね。ただ、我々の中に……というより私の中にアプリゲームのノウハウがまったくありませんので、なかなか難しそうです。お金を稼ぐロジックもコンシューマとは異なるでしょうし、極端な話、おもしろければ普及するわけではないと思っています。それはもちろんコンシューマ作品でも同じことなのですが、アプリに比べるとコンシューマ作品のほうが「ゲームが楽しければ受け入れられる」土壌はしっかりしていると考えています。これは私個人の考えですけど。
畑佐:たしかに納得です。
黄:また、最近はアプリゲームも規模が大きくなっていて、コンシューマゲームと同規模かそれ以上の予算が必要になってきている側面も無視できません。そこは大手さんにお任せするしかないというか、我々のような弱小パブリッシャーにとってはちょっと手を出しづらい状況になってきていますからね。
畑佐:では、現状のスタイルを今後も貫いていかれる……と?
黄:そうですね。とはいえ、現状維持に努めるつもりはまったくありません。先ほども申し上げましたが、今はまだ会社の名前をしっかり浸透させていくことに注力する時期だと思っています。言ってみれば、まだTVにすら映っていない若手芸人みたいなものですよね。だから、今は少しでも多くの人に我々のことを、フライハイワークスが送り出したゲームのことを知ってもらえるようにしたいです。そうしてたくさんの方に手に取ってもらえる機会が増えたとして、そのみなさんにしっかり満足してもらうことこそが目指すべきところでしょうか。
畑佐:素晴らしい目標だと思いますが、一方で、ものすごく高いハードルではないですか?
黄:ええ。でも、フライハイワークスが新しくゲームを配信したとき、それを遊んでくれたユーザーさんがTwitterなどで「またフライハイワークスがやってくれた!」と喜んでくれたりしているのを見ると、私自身も笑顔になれますから。ずっとそういった「遊んでよかった」という体験を与え続けていけるよう、これからも進んでいきたいと思います。
畑佐:フライハイワークスさんの躍進が楽しみです。本日はどうもありがとうございました!
テキスト:タダツグ(Tadatsugu) シシララTV編集部、電撃編集部などで活動中のゲームライター/編集。生放送にも出演中。いつまでも少年の心を忘れないピーターパン症候群を自認するケツ合わせ系テキスト書き。好きなゲーム:『ニーア』シリーズ、『ヴァルキリープロファイル』シリーズ、『ペルソナ』シリーズ、『パズル&ドラゴン』など多数。
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