『スーパーハングオン』で作曲家デビューし「S.S.T.BAND」の結成へ──並木晃一×安藤武博 対談【サウンドコンポーザーに訊く!/連載第7回・前編】
バンドでデビューしたいと思っていた男がセガに入社し、CDデビューに厚生年金会館ワンマンライブにと一気にスターダム街道を歩くことに……。当時、ゲームミュージックシーンで何が起こっていたのか!? 元セガでS.S.T.BAND~Blind Spotのリーダーを務めている並木晃一とゲームDJが対談! 前編の今回は、セガ入社のきっかけからS.S.T.BANDを結成して、ゲームミュージックバンドブームの真っ只中にいた時代の話をメインにお届けします。
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並木晃一(写真左)
1987年にセガ・エンタープライゼス(現:セガ・インタラクティブ)に入社し、『スーパーハングオン』、『ギャラクシーフォース』、『サンダーブレード』などのBGMを作曲する。1988年に結成されたセガのオフィシャルバンドS.S.T.BANDにMickey名義でギタリストとして参加。1995年にセガ退社以降は、フリーランスの作曲家として活動。2011年にはS.S.T.BANDをBlind Spotとして再結成させ、以降も継続して活動している。
■2018年でCDデビュー30周年を迎えた並木晃一氏の現在

安藤武博(以下、安藤):並木さんは今年、CDデビューを果たされて30周年をお迎えになられたんですよね。

並木晃一さん(以下、並木):そうですね。1988年7月20日にサイトロンから『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-』(※1)をリリースしたときから数えて、今年の7月20日で30周年を迎えました。

(※1)『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-』……サイトロンからリリースされたセガのサントラ第一弾。『ギャラクシーフォース』、『獣王記』、『サンダーブレード』のゲームオリジナル曲に加えて、S.S.T.BANDのバンドアレンジ曲を5曲収録している。

安藤:セガに入社されたのはもう少し前になるのでしょうか。

並木:セガに入社したのは1987年3月だったと思います。中途採用で入りました。当時、蒲田にあった音響系の専門学校で知り合った友達と、カシオペアとかのフュージョン系を演奏するアマチュアバンドを組んでいたんですよ。そのバンドにはキーボードがいなかったので、当時すでにセガに在籍していた林克洋くん(※2)を誘って、キーボードを弾いてもらっていたんです。で、ちょうど僕が転職をしたいと思っていたので、林くんに「どこかいい会社あったら紹介してくれない?」と相談したら、「じゃあウチ(セガ)に来る?」ってなって。

(※2)林克洋……ファンキーK.H.名義でセガのゲームタイトル『カルテット』や『SDI』などの楽曲を手掛けていたコンポーザー。並木氏をセガに誘った人物。

安藤:バンドメンバーから誘われてセガに入社されたんですね。

並木:そうなんですよ! ……と言っても、セガについてはゲームを作っている会社だってことを知っていた程度で。面接では当時部長だった鈴木久司さんが担当でした。で、鈴木さんがイスに座って履歴書を見ながら「並木くんだっけ。で、いつから来られる?」って(笑)。

安藤:いきなりですか(笑)。豪快というか、昭和ならではの感じですね。

並木:当時のセガは東証二部に上場もしてないころでしたし、町工場にちょっと毛が生えたような雰囲気だったので、ゆるかったんでしょうね(笑)。あと、林くんが僕をセガに誘った一番の理由は、当時林くんが『スーパーハングオン』のプロジェクトに参加していて、曲が間に合いそうもなかったところもあって(笑)。だから、入った直後に「今すぐ曲を書いて」って言われました。それでセガに入って最初に作った曲が『スーパーハングオン』の「Winning Run」(※3)になったわけです。

(※3)「Winning Run」……『スーパーハングオン』のゲーム中BGMとして選択できる4曲中の1曲。

安藤:林さんとしても、すぐに曲を書けるコンポーザーを探していたわけですね。

並木:そうみたいです。林くんの性格的に「どうしようかな、誰か手伝ってほしいな」と考えていたところに、渡りに船で僕が「仕事ないか」って相談したみたいで。

安藤:並木さんは当時コピーバンドをやられていたとおっしゃられていましたが、オリジナル曲も作られていたということでしょうか?
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並木:じつは、それほど気合いを入れてオリジナル曲を作っていたわけではなかったんですけどね。専門学校時代に、MTRを使ってバンドで録音もしていましたが、オリジナル曲の割合は10曲中2曲程度でしたし。あとは全部、既存曲のカバーやアレンジをしていました。

安藤:作曲自体に高いモチベーションがあったというよりは、いずれは自分で曲を書いてみたいという感じだったんですね。

並木:当時は漠然と「バンドをやりたい」っていうだけでしたからね。東京に出てきて、上手いやつらと一緒にバンドを組んで、ゆくゆくはオリジナル曲も書いてバンドでデビューしてやるんだ俺は、みたいな(笑)。

安藤:元々プロデビュー志向があったから、セガに入られたあとにS.S.T.BANDのメンバーとしてデビューするというのは自然な流れだったのかもしれません。

並木:正直なところ、セガに入ったときは単なるステップアップのひとつとしか考えてなかったんですよ。でも入社後、そんなに時間が経ってないころにS.S.T.BANDの話が出て、もうあれよあれよという間に気がついたら一口坂スタジオのAスタど真ん中に自分が座っているわけですよ。そんなことって、それまでの自分の人生ではまったく起きそうもなかったわけじゃないですか。

安藤:地道にバンド活動を続けても、一口坂スタジオのAスタにいる確率っていうのはそんなにないですもんね。

並木:本当にそうですよね。だからもう楽しくなっちゃって。

安藤:私は当時関西在住だったので、S.S.T.BANDのライブがすごく盛り上がったという記事を雑誌で拝見していました。当時は3000人キャパくらいのハコだったら、普通にSOLD OUTする勢いでしたよね。

並木:初期のころのライブは入場無料でやっていたんですけどね。

安藤:無料ライブをやられていたんですね。ライブにはおもにアーケードゲームのファンが集まっていた感じでしょうか?

並木:そうだと思います。S.S.T.BANDとしての一発目のライブが、新宿厚生年金会館大ホールから始まる東名阪のツアーだったんです。ツアータイトルは“S.S.T.BANDライブ メガドライブ スパークリング1989”というもので。そのライブツアーは、メガドライブの発売記念に行われたものだったんです。メガドライブ自体はツアー開催の少し前に発売されています。それと当時、S.S.T.BANDが長期間続いていくプロジェクトだという認識を誰も持っていなくて。

安藤:楽器が演奏できるスタッフが集まった、短期のお祭りみたいな企画だった?

並木:そうですね。スタート当初は「ツアーをやって解散」みたいなノリでしたから。でもあまりにもライブが盛り上がりすぎちゃったので「これは続けたほうがいいんじゃない?」って意見が出たんですよ。

安藤:当時の盛り上がりがどれくらいすごかったのか気になります。S.S.T.BANDは「ゲームミュージックバンドがライブ活動をする」ことの元祖というか原点ですもんね。何が起こっていたんでしょうか。

並木:よく原点とか先駆者って言われるんですけど、自分はただ単にギターを弾きたくてウロチョロしていたら、いつのまにかそこにいただけのことなんですよ。だから「俺はイノベーターだ」とかそういう意識はまったくないんですけどね。だって先輩から「ギター弾けるんだって? じゃあバンドやらない?」みたいな軽いノリでS.S.T.BANDが始まって、気がついたら一口坂スタジオのAスタにいて、気がついたら厚生年金会館に立っていたわけですよ。アマチュアだった僕が、いきなり厚生年金会館ですよ?(笑)

安藤:ほとんどありえないステップですね(笑)。
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並木:だからステージでも「ああ……ヴァン・ヘイレンがここで演ったんだ……」って思いながら、こっちも心臓バクバクで。でも、お客さんがすごく盛り上がってくれたので安心しました。

安藤:最初は「お客さんがどういう感じでライブ演奏を聴くんだろう?」って考えたりしませんでした? 静聴するのか、いきなりスタンディングなのか、歓声が来るのかって。

並木:考えましたよ。ライブでは僕から「盛り上がっていいよ、立っていいんだよ」っていうアピールをしました。

安藤:最初からロックコンサート的なノリで聴いてほしいっていうビジョンが、並木さんのなかにあった。

並木:そうですね。というかお客さんに盛り上がってもらわないと、こっちも緊張したままになっちゃうから、盛り上げないとやばいなと思って。僕はギターがワイヤレスだったから、自らPAスピーカーの前に行ったりしてね。

安藤:演奏だけじゃなく、MCや煽りもして、さらにパフォーマンスもしていたんですね。本当にデビューライブからゲームの曲を作っている人というより「バンド」っていう感じだったんですね。

並木:当時の我々のお客さんは、ロックバンドのライブを観たことがない人たちがほとんどだったんだと思います。盛り上がり方がわかっていないから、常識ではありえないようなハチャメチャな盛り上がり方をするわけですよ。どう盛り上がっていいかわからないんだから、当然ですよね。

安藤:ハチャメチャだったんですか(笑)。

並木:ハチャメチャです。僕のMCに被せてきたり(笑)。

安藤:浅草の演芸場みたいですね(笑)。混沌としているけど、ものすごく熱はあるっていう。とてもおもしろそうです。

並木:今ではそんなファンのみなさんも大人になられたというか。いろいろなアーティストのライブを観るようになったり、家庭を持って会社でちゃんとした役職についたりとかして、成長されています。だから今、Blind Spotでライブをやるときは、普通のライブを演っている感覚と比べてもなんの遜色もないですね。

安藤:バンドと同様に、ファンも成長されているということですね。
■『アフターバーナー』のギターサンプリングに対抗してベースをサンプリングした『サンダーブレード』

安藤:当時、ゲームメーカーの社員でギターを弾ける人はあまりいなかったのではないでしょうか?

並木:当時のセガでは僕しかいませんでしたね。他社さんの動向はわからなかったんですけど、後に古川もとあきさん(※4)がコナミに入社されたりして、そのころからギタリストが増えてきた印象はあります。

(※4)古川もとあき……元コナミのサウンドクリエイタ-。『A-JAX』や『グラディウスII -GOFERの野望-』の楽曲を手掛けた。
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安藤:古川もとあきさんとは、ライブでも対バンされていましたよね。

並木:古川もとあきさんが所属されていたコナミの「矩形波倶楽部(※5)」とは、デビュー時もそんなに離れていなくて。S.S.T.BANDのほうがちょっとだけ早いくらいなんですよね。でも、古川さんの登場は僕にとって結構衝撃的でした。

(※5)矩形波倶楽部……コナミ社内で結成されたゲ-ムミュージックバンド、及びサウンドチームの総称。

安藤:当時のアーケードゲーム基板では、ギターの音は出せないですよね。そこでギタリストとしての並木さんが「こういう音楽を作って入れてやろう」という野望はあったのでしょうか?

並木:もちろん、そういう野望はありました。とりあえず僕の作る曲ではコードボイシング(※6)を全部ギターのボイシングで作っていました。

(※6)コードボイシング……和音の構成や配置方法のことを指す。

安藤:セガに入られて、一番最初に手がけられたのが『スーパーハングオン』の作曲というお話がありましたが、もういきなり修羅場みたいなプロジェクトに入ったわけですよね。もちろん、納期も短かったのでは?

並木:納期までの具体的な期間は覚えてないんですけど。入社直後で右も左もわからなくて、加減ももちろんわからない。本当に苦労して作った記憶があります。

安藤:たとえば『スーパーハングオン』だと、アミューズメント施設に置く大型筐体だからこういう音や曲を作ってほしいといった指定はあったんですか?

並木:もちろんありました。『スーパーハングオン』は林くんがメインだったんですが、彼からは「ロックで頼むよ」とだけ言われていました。

安藤:「ロック」だけですか。
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並木:そう「ロックで頼む」と。で、曲を書いたんですけど、実際の基板で鳴るのはFM音源じゃないですか。

安藤:FM音源でどうやってギターの音色を再現すればいいのか、悩まれたのでは?

並木:当然そうなるんですが、そこはあきらめる方向……というか考えを変えて作っていたと言ったほうがいいのかな。でも、それが逆に、キーボードやテクノ系の曲を作っている方たちとは全然違う作風になったんだと思います。偶然の産物みたいなものですけど。

安藤:ロックやフュージョンのバンドプレイヤーから、ゲームのコンポーザーになるときにどういう思考のチェンジがあったのか気になります。使える音色も少ないし、同時発音数も少ないわけですから、そこに表現としての制約が生まれるわけですよね。

並木:たしかに使える音数は少ないんですけど、その中にパズルのように音を収めていく作業はおもしろかったですよ。僕はキツいテンションコードをよく使うんですけど、発音数が足りないので、コードをアルペジオに分解していったりしてね。

安藤:「分散和音」と呼ばれるテクニックですね。

並木:ほかのコンポーザーさんもよく使いますよね。あと、アルペジオというよりもシーケンスフレーズで、上の方でチラチラチラチラ鳴らしながら全部コードトーンを追うっていうテクニックも、好んでよく使いました。ロックテイストを出すっていう部分に関しては、本当に感覚的なものです。そこで数学的な計算があったわけではなく、「俺はこれしかできないけど、これでどうですか!」っていうゴリ押しみたいな感じでね。

安藤:感覚的なものでロック色を表現されていた。

並木:そうですね。そうそう、ロック色の表現で思い出したんですが。当時セガに入った直後くらいに、別のチームで『アフターバーナー』を開発していたんですよ。それでBGMにギターのサンプリング音を使うってことになって、そのときに僕のギターを使ってサンプリングしたんです。

安藤:『アフターバーナー』のBGMに使われているギターの音色は、並木さんのギターで鳴らした音だったんですね。これはすごい話を聞けた!

並木:あれ、じつは僕のギターなんです。ギターサンプリングはセガの仮眠室でアンプに布団をかぶせて録りました(笑)。で、そのときに「これでギターの音は出せるな」ということになったんですけど、『アフターバーナー』を作った直後に僕のプロジェクトで同じようにサンプリングギターを使うのも芸がないと思って、僕はベースをサンプリングして使ったんですよ。

安藤:この対談の前に、並木さんの音楽をいくつも聴かせていただいたんですが、並木さんの曲はベースフレーズがすごいと思っていたんです。だから、じつは並木さんってベーシストでもあるんじゃないかと思っていたくらいで。

並木:じつは、20歳くらいのころに丸1年ベーシストだったことがありました。その時期はずっとベースだけ弾いていましたね。

安藤:やっぱりそうですか。スラップとかのフレーズがかなりカッコイイですよね。ギタリストがとりあえずベースフレーズを入れようという感じではなくて、ベーシストじゃないと出てこない美味しいフレーズがたくさん盛り込まれているのが印象的だったんです。

並木:ただ残念だったのは、当時のサンプリング技術だと平均律の音律が作れないんですよ。サンプリングの刻みが均等割りの128段階。だからそのなかで音程を移動させていくと、めちゃめちゃ音痴になっちゃうんです。
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安藤:並木さんのレガート気味の滑らかなサウンドって『スーパーハングオン』の時代から『CHUNITHM』に至るまで、ずっと存在していると思うんですけど、デジタルに128段階でぶった切られてしまうというのはちょっとツラいですね。

並木:そうですね。だからピッチが本当にツラかった。できるだけサンプリングした時の元のキーで使うようにはしていたんですけど、たとえばベースだったらEが一番ベースっぽい音じゃないですか。

安藤:4弦開放ですね(笑)。

並木:そうそう(笑)。だからまずはEの音をサンプリングして、5度を録って4度を録って、あとはオクターブの上を録ったりして。ハンマリングの音も録ったかな……?

安藤:並木さんが作曲された『サンダーブレード』がベースのサンプリングを使っているのだとしたら、ハンマリングの音も入っていたので、録られていたかと思いますよ。

並木:それが実際サンプリングしたかどうか覚えてないんですよ……。もしかしたらピッチベントで無理やり矩形波上にプログラムを書いたかもしれないです。

安藤:サンプリングしたデータの波形を見ながら、音を滑らかにする作業はかなり苦労されたのでは?

並木:そのあたりの話なんですが、当時会社で僕が使う作曲のツールとしてマシンはPC-9801でソフトは「プレリュード」をあてがわれていたんです。でもそれでは全然満足できなかったんですよ。そんな時に「マッキントッシュプラスが並行輸入で入ってくるぞ。価格は19万8千円らしいぞ」って情報が入ってきて。これはもう買うしかないと(笑)。真っ先に秋葉原に買いに行きましたね。ハードディスクもSCSIの32メガを積んで。

安藤:“メガ”の時代ですもんね。“ギガ”とか“テラ”ではなくて。

並木:そう、メガの時代です。ソフトもいろいろ買いました。シーケンサーのVisionと一緒に『アルケミー』と『インフィニティー』っていう波形編集ソフトも買ったんですが、とくに『インフィニティー』はループを強引に作ってくれる便利な機能が付いていたんです。波形を入れてここからここまでループしてっていう指定をすると、キレイにループを作ってくれまして。

安藤:それは便利なソフトですね。

並木:当時はかなり重宝しました。とくに、セガを退社してフリーになってからはプレイステーションのサウンド制作が多くなったんですが、PSの音源ってサンプルのサイクルが決まっていて、そのサイクル内でループを作らないといけなかったんです。だから『インフィニティー』がないと仕事にならなかったレベルですね。
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■作った曲で押し切った『ギャラクシーフォース』と自由に作って最終的にメロディを外した『サンダーブレード』

安藤:お話が少し戻りますが、『スーパーハングオン』の開発が終わって、その次に担当されたお仕事は覚えておられます?

並木:『スーパーハングオン』の後は大型筐体ではないビデオゲームに1本関わったハズなんですけど……野球のゲームだったかなあ。そのへんの記憶があいまいなんです。その次は『サンダーブレード』と『ギャラクシーフォース』になるんですが、これも開発はどっちが先だったか覚えてないんですよね。

安藤:遊んでいた子ども側からしても、どっちが先に出たのかわかってなかったです。ゲーセンには両方が置かれていて、「どっちをプレイしようかな」って(笑)。2作とも切り口は違うけど、同じ疑似3Dのシューティングゲームでしたよね。宇宙版が『ギャラクシーフォース』で、ヘリ版が『サンダーブレード』みたいな。そうしたなかで、並木さんはこの作風の流れにはこの曲調で、みたいに意識して曲を作られていたのでしょうか。

並木:どちらかと言うと、「この世界観にはこれだろう!」みたいな感じで、頑固に自分を曲げない感じで作っていました(笑)。それは僕が不器用だったっていうのもあるんですけど、そういう主張を押しとおす裏技として、納期のギリギリに提出するという(笑)。

安藤:「リテイクの期間がもうないからしょうがない」とさせる。テクニックですね(笑)。たとえば『ギャラクシーフォース』は宇宙モノで、1面BGMの「BEYOND THE GALAXY」なんかはベースの主張がすごい。これはどういうオファーがあって作られたのか気になります。

並木:筐体からベース音ってなかなか聴こえにくいじゃないですか。だからベースの音を大きくしたかったんですよ。ちなみに『ギャラクシーフォース』は企画から「3Dシューティングだから、もっと速いテンポの曲がほしい」っていう提案があったんですけど、「そうは言っても、もう時間がないですよね」ってことで、出した曲を使ってもらえるように押し切りました(笑)。

安藤:『サンダーブレード』の時はどんなオファーがあったのでしょう?

並木:『サンダーブレード』はかなり自由に作らせてもらった記憶があります。ただ曲を作った時点で、これはメロディがあると邪魔になっちゃうなって思ったんですよ。『アフターバーナー』のときもそうですけど、同じ理由で最終的にメロディを抜いたバージョンを完成版としてゲームに入れました。

安藤:『サンダーブレード』はヘリのプロペラの音と、モーターのヒュイ~ンって音が記憶にあるので、あの時バックでどんなBGMが鳴っていたのか、じつはサントラを聴かないと思い出せなかったです。

並木:その2作品に関してなんですが、2007年にウェーブマスターさんから『ギャラクシーフォースⅡ&サンダーブレード オリジナルサウンドトラック』というサントラがリリースされたんですよ。そこに2作品とも新規アレンジ曲を収録したいっていう要望があり、『サンダーブレード』のほうはメロディがなかったので、アレンジバージョンで改めてメロディを付けることになったんです。それで僕が当時作ったメロディを一応は思い出してみたんですが……まあ覚えているわけがなくて(笑)。

安藤:一回メロディを作って入れてから、抜いた感じですもんね。当時のMIDIデータみたいなものも当然……。

並木:ええ、残っていなかったですね(苦笑)。だから改めてメロディを作ってアレンジした感じです。

安藤:ちなみにプロペラの音とか、ヒュイ~ンっていうあの効果音も並木さんが作られているんですか?

並木:サウンドチームに一人、曲は作らないでサウンドプログラムに専念していた方がいらっしゃいまして、その方がプログラムをしていたと思います。
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安藤:並木さんは純粋にゲーム内のBGMの作曲だけされていたんですね。ちなみにコインを入れた時のクレジット音なんかも並木さん以外の方が?

並木:クレジット音も僕は作ってないです(笑)。『ギャラクシーフォース』のクレジット音は林くんが作ったものですね。ちなみに『サンダーブレード』や『スーパーモナコGP』といったエンジン音と同期して音程が変わっていくタイプのゲームは、プログラマーの方がとても苦労してプログラムを組んでいました。

安藤:アクセルワークなどに合わせてエンジン音を出さないといけないから、ちょっとプログラマブルな領域になってきますよね。

並木:そこまでは僕にはできなかったので。でも、ひととおりアセンブラの勉強はしましたよ。そうそう、今だからこそ言えるんですけどアセンブラでテーブルを打つことはできるんですけど、最終的にイチからプログラムを書くことはできないままセガを退社しました。

ディレイをデータ上で遅らせるといった程度はできたんですけど、セガでは言語をきちんと覚えてゲームに合わせた効果を考えていく必要がありました。その部分に関しては、僕はさぼっていたというか……。さぼっていた理由もあるんですけどね。

安藤:S.S.T.BANDの活動が忙しかったってことですかね。

並木:それは理由じゃなくて言い訳かな(笑)。

安藤:(笑)。でも、相当お忙しかったのは間違いないですよね。

並木:それはもう。当時はスタジオに住んでましたからね。

安藤:完全にミュージシャン的な生活じゃないですか。会社員でありながらミュージシャンとしても活動しているわけですから。

並木:そうですね。S.S.T.BANDのレコーディングがある時はスタジオに直行直帰でしたからね。

安藤:それと並行してゲームの音楽も作らないといけない。

並木:そこは社内でも融通をきかせてもらっていました。『サンダーブレード』と『ギャラクシーフォース』以降、ゲーム開発に関してはサポートに回る作業のほうが多くなりましたから。メインでガッツリ入っちゃうと、S.S.T.BANDのレコーディングやライブのリハが回らなくなってしまうんです。

だからS.S.T.BANDが忙しくなってからは、ゲーム開発のほうは常にサポートに回っていました。効果音を作ったり後輩にテーブルの打ち方を教えたりとか。そういったなかで作ったタイトルのひとつに『ボナンザブラザーズ』がありましたね。
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■とあるきっかけから思い出した『スーパーモナコGP』の曲……仮タイトルのままでアルバムに収録した

安藤:その当時に関わられたタイトルで、ほかに印象に残っているタイトルってありますか?

並木:そうだなぁ。『スーパーモナコGP』は強烈に覚えてますね。

安藤:『スーパーモナコGP』! 大好きなタイトルですよ。かなり遊びました!

並木:ありがとうございます。『スーパーモナコGP』のアドバタイズ曲とネームエントリー曲は、今でもお気に入りなんですよ。あの曲を今年Blind Spotでリリースしたアルバム『Blind Spot Ⅱ』ってアルバムで、小林楓(※7)のボーカルで「大鳥居の夜」というタイトルで収録しています。曲の完成形がもう完璧で。僕が当時思い描いていたイメージがそのまま具現化されて完成させられることができて。今、すごく幸せな気分でいます。

(※7)小林楓……シンガーソングライター。Blind Spotにもボーカリストとして参加している。

安藤:『スーパーモナコGP』は最高の筐体だったと思うんですけど、並木さんにとっても思い入れのあるタイトルだったんですね。

並木:思い入れはありますよ。レース中にはBGMがないんですけどね。先ほども話したネームエントリーの曲は実はあるきっかけがあって思い出したんですよ。あの曲を書いたこと自体、最近まで忘れていたんですが、たまたまツイッターで『スーパーモナコGP』っていうワードを見かけて、「あ、そういえば俺このゲームの曲作ったよな、どの曲だっけ」と思って、とりあえず動画サイトを探してみたんです。

そうして動画を見て「ああ、このネームエントリー曲、俺が作ったわ!」ってなって。もしかしたら譜面も残ってるかも……と思って探したら、見事に譜面が出てきたんです。で、その譜面に「大鳥居の夜(仮)」って書いてあった。「ああ、これだ~!」と思いましたね。

安藤:セガの社屋がある大鳥居がタイトルに……時代を感じますね。その譜面に書いてあった仮タイトルが、そのままアルバムでの楽曲名になったと?

並木:そのとおりです。Blind Spotのアルバム『Blind Spot Ⅱ』に収録する時にそのまま「大鳥居の夜」というタイトルを付けて収録しました。出てきた譜面を見ていたら、とにかくいろいろな記憶がよみがえってきまして。

当時、S.S.T.BANDでアレンジ曲を作る時に「この曲は女性ボーカルを入れてアレンジしたいな」ってイメージで曲を書いていた記憶がフッとよみがえってきたんですよ。そのアイデアはS.S.T.BAND時代には実現しなかったんですが、今になってパッと出てきたときに、あのアレンジが一瞬で思い浮かんだんですよね。

安藤:ご自身のなかでずっと温めていたものを作られたわけですね。

並木:そうですね。温めていたっていうか、当時完成しちゃっていたけど、蔵の奥にしまっていたものがヒョコッと出てきた感じ。だからホントに一瞬で出来ちゃって。

安藤:当時、仮タイトルとはいえ「大鳥居の夜」と付けた由来ってあったんですか?

並木:当時、チャカ・カーン(※8)の「チュニジアの夜(デジー・ガレスピー作曲)」って曲が好きで、「何々の夜」ってタイトルにしたかったんです。アレンジも「チュニジアの夜」がシンセベースを使っているから「大鳥居の夜」でもオマージュとして使っています。“何々”の部分は、「ここが大鳥居だから大鳥居でいいや」っていう軽いノリです。

じつは『Blind Spot Ⅱ』に「大鳥居の夜」を収録する前振りがあるんですよ。一昨年の夏に「並木晃一セッション」っていう企画ライブをやったんですけど、そこで小林楓に「チュニジアの夜」を歌ってもらっているんです。それが長い前振りだったという(笑)。

(※8)チャカ・カーン……1978年にソロデビューしたアメリカ出身のR&B歌手。プリンスのカバー曲「フィール・フォー・ユー」がヒットした

安藤:壮大な前フリだったんですね(笑)。ところで、並木さんとこうして『スーパーモナコGP』のお話をしていて思ったんですが、もしかしてF1はお好きですか?

並木:好きですよ! だって当時S.S.T.BANDはポニーキャニオン所属のアーティストでしたし、ポニーキャニオンって言ったらもうF1じゃないですか(笑)。
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安藤:わたしもF1が大好きなんですが、並木さんの曲を聴いていたら、セナプロ時代のF1のことを思い出したんです。

並木:セナにプロストの時代……まさにF1たけなわのころですね。当時、ポニーキャニオンからF1のテーマとして使われていたT-SQUARE(※9)の「TRUTH」を新曲に差し替えるって企画が上がってきたことがあるんですよ。

(※9)T-SQUARE……日本で活動するフュージョンバンド。代表曲である「TRUTH」がF1中継番組「F1グランプリ」のテーマ曲としてヒットした。

安藤:それは興味深いですね。

並木:そこで、新しいF1のテーマ曲を決めるオーディションがあったんです。

安藤:当時、優勝時にかかるテーマ曲が各ドライバーごとにありました。絶対に優勝しそうもないドライバーにもテーマ曲があったから、それを聴いてみたいって思っていたんですよ。でも、それ以前にあの「TRUTH」に代わる曲を作る企画があったとは……。

並木:「F1の曲=TRUTH」ってイメージだっただけに、驚きですよね。実際、オーディションにはいろいろな曲が集まってきていたようですが、最終的には一番偉い方から「そのままTRUTHで行かせてよ」って話になりまして。そして、その時のオーディションで集まった曲たちが、各ドライバーのテーマになったというわけなんです。

安藤:それはイチファンとしてとても興味深いお話を聞かせていただきました。ドライバーごとにテーマ曲を用意するのって、なんだかゲーム的なアプローチで好きだったんですよ。

並木:余談ですけど、S.S.T.BANDで採用されたドライバー曲は2曲ともセガ社員のメンバーが作った曲ではなくて、社外のメンバーが作った曲なんです(笑)。1曲はベースのTurbo君こと斉藤昌人が作ったゲルハルト・ベルガーのテーマ曲「TACHYON」。もう1曲は当時メンバーだったギターのGALAXYこと飯島丈治が作ったリカルド・パトレーゼのテーマ曲「I CAN SURVIVE」です。もちろん、僕もギター演奏で参加していますよ。

安藤:当時の記憶がよみがえります。ゲーム音楽もまだ制限があって、F1マシンもまだ完全無欠ではなくて、よくレース中に止まっていましたよね(笑)。S.S.T.BANDの曲には、あのころの空気感がぎっしり詰め込まれているなと感じます。

(後編に続く)


CHECK!
■Blind Spotのニューアルバム『Blind Spot Ⅱ』が好評発売中!

Blind Spotとして再結成後、サントラへのアレンジ曲収録などはあったものの、全編Blind Spotのアレンジ曲のみで構成された初のアルバム『Blind Spot Ⅱ』が発売中。インタビュー中の話にも出た小林楓嬢が歌う『スーパーモナコGP』のボーカル曲「大鳥居の夜」のほか、『ファンタシースター 千年紀の終わりに』や『アフターバーナー』のアレンジ曲も収録。更に4曲のBlind Spotオリジナル曲も収録しているなど、1995年リリースのS.S.T.BANDラストアルバム『Blind Spot』の続編的アルバムという側面も持っている。
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■ライブ“第2回Blind Spot祭り”が10月6日に開催決定!

今年30周年ツアーを終えたBlind Spotの次のライブが決定! 場所は汐留Blue Moodで19時よりスタート。チケットはすでに発売中で、前売り価格4000円となっている。今回のライブは2015年に開催されて好評を得た“Blind Spot祭り”に続く企画ライブで、前回同様に多数のネタが用意されているとのこと。目玉企画としてプロアマ問わず、メンバーとのセッション企画も開催予定とか? 参加希望の方は楽曲(S.S.T.BAND&Blind Spot楽曲のみ)をご指定の上、ツイッター @BlindSpot_INFO までDMを送ろう!

Blind Spot オフィシャルTwitter
https://twitter.com/blindspot_info


テキスト:風のイオナ(FLOOR25) ゲームと音楽と旅と自転車が好きな東京在住フリーライター&エディター。最近は地下アイドルグループDORCAのプロデューサー業もやってます。
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