NieR Orchestra Concertに感謝をこめて──「無理」極まりしコンサートレポート
“NieR Orchestra Concert 12018”から、もうすぐ2週間が経過しようとしている──。
この原稿の掲出がほかのメディアに比べて出遅れたのには、もちろん理由がある。電車が遅延して物販に並べなかったショックとか、オケコンロスで寝込んだとかいろいろあったけれど、ひらたく言うと「悩んでいた」からである。
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好き好んでライターという仕事を選んでおきながら、つくづく自分の仕事が嫌になる瞬間というのがある。

近年、とくにレビュー記事を書く際にその感覚を覚えることが増えた。これだけ動画や配信が身近なものとなった今、多くの人が味わった体験や感動を言葉に換え、文章にして伝えることにはたしてどれだけの意味があるのだろうかと。

素晴らしい体験をしたあとほど、その感覚は強くなる。今やみんな手軽に実況するし、中継や配信もあり、それを気軽に見ることができる時代になった。ゲームだったら無料だったり、体験版もある。昔のように「一度きり」「その日その時、お金をかけて、現場に行った人だけが」というようなコンテンツは少なくなり、必定、紙の媒体の文字レポートで追体験する必要性も薄れてきたように思える。

だから、誰にも言わなかったけれど、私は心のどこかで嫌だなあと思っていた。

2018年9月17日が訪れて、パシフィコ横浜に向かうことが、すごく嫌だった。大きくて立派なホールで、フルオーケストラの音楽を浴びるという贅沢な体験を、いったいどうやったらうまく言葉にして伝えることができるんだろうかと。そこに意味はあるのか……と。

それに『ニーア』シリーズに於いて、音楽はただのBGMではない。ほかのゲーム以上に物語の一部であり、物語そのものでもあり、思い出を揺り返すトリガーとも言える楽曲ばかり。想像しただけで震えが来る。

「無理」

取材依頼が来たあとには、ただその単語だけが頭の中をぐるぐると回っていた。
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開演5分前。今回のナビゲートを務めるエミール役の門脇舞以さんが、陽気なエミールの声で諸注意を呼びかけてくれる。ふわっといったん会場が和んで、それからまたぴりりと緊張するのを肌で感じる。まだ暗がりのステージに並ぶ100を超える椅子の数、居並ぶ楽器の数々。“NieR Orchestra Concert 12018”の文字。誰もが夢にまで見たコンサートの幕が、ついに上がる。

■まず『ニーア レプリカント/ゲシュタルト』から、という「無理」

先んじてコンサートの公式パンフレットに関わらせていただいたので知ってはいたが、思い返せば私の「無理」はセットリストを見た瞬間から始まっていた。

コンサートのオープニングを飾るのは、『ニーア レプリカント/ゲシュタルト(以下、レプリカントとまとめ、省略させていただく)』の「夏ノ雪」である。往年のヨコオタロウタイトルにも登場する、ある種のトラウマエリアともいえる場所・新宿の光景……。『レプリカント』のオープニングでは危機的状況に追い込まれた主人公とヨナが身を隠す、廃墟と化した新宿で流れる楽曲である。

私はうろたえた。

「え……そんなの、1曲目で泣いてしまうから困るんですけど」

コンサートは2時間強あるのに、最初から泣いていたら身も心も保たないでしょうが。

そして案の定、コーラスが始まった瞬間からぞわりとして、胸がギュッと締めつけられて、『レプリカント』の思い出が押し寄せてきた。2010年に発売された原点ともいえるサントラ「ニーアゲシュタルト&レプリカント オリジナル・サウンドトラック」で聴くのとは、まったく音の厚みが違うのだ。並び立つコーラスのみなさんの声が、広いステージの奥からダイレクトに耳へと響く。困ったな、これは困ったぞと思った時には、もう涙がじわり。負けである。『ニーア』でフルオーケストラvs往年のファン……勝てない勝負の負け戦とはいえ、決着がつくのが早すぎる。

続いて「イニシエノウタ」がやってきた。これもまた「無理」すぎる。『レプリカント』ではこの「イニシエノウタ」は重要な演出を担い、さまざまな顔を持つ名曲中の名曲だ。「くわた」と聞けば多くの人がミュージシャンなり元野球選手なり、誰かの名字を思い浮かべるかもしれないが、『レプリカント』ファンは「くわた」と聞けば、その後に続いてみんな唄い出す……それほどの名曲。それが2曲目である。ゲームの内容的には最初の村ですぐに耳にする楽曲だから、時系列的に不自然ではない。だが楽曲の知名度・重み的な観点からいくと、これは完全なる不意打ちに値する。「2撃目にまさかの必殺技で致命傷」くらいの、至極強烈なセットリストだったと思う。

3曲目の「光ノ風吹ク丘」はフィールド曲。気性の激しいヒツジや豪快なドリフトをかますイノシシらが戯れる平原のイメージは、アレンジによってさらに広大さを増していた。『レプリカント』独特のくすんだ空のイメージから解き放たれて、透明感が増し、正直「売れることが約束されたスクエニのビッグタイトルRPGの音楽みたいになってる……!」と心底驚いた。

そして「エミール」へ。こちらもまた密度の濃いアレンジとなっていて、名シーンが次々と頭の中を駆け巡った。ナビゲートを務める門脇さんのモノローグがすでに「無理」の気持ちを煽ったところで、ドラマチックなアレンジの楽曲がさらに思い出を揺り起こすかのようだ。
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元々、さほど数の多くない楽曲をいろいろなアレンジで工夫しながら活用していた『レプリカント』。だからこそたった一曲で、ありとあらゆる場面を走馬灯のように思い出せてしまう。それに「エミール」を聴くと『レプリカント』での彼はもちろんのこと、やはり『ニーア オートマタ(以下、オートマタ)』の時代まで生き残ったひとつの、そしてたくさんの「命」の切なさを思わずにはいられない。

■コンサート初登場という意外な一曲

個人的に今回もっとも楽しみにしていた楽曲を特記しておきたい。コンサート初登場となった「掟ニ囚ワレシ神」だ。

初期のPVにも使用されており、元々かなりダイナミックな印象の原曲だが、このオーケストラアレンジはその良さをフルに引き出し、かつ魅力を増していた。コーラスと金管楽器の重なるような音の圧がドッと押し寄せてきて、神殿での戦いはもちろんのこと、渇いた砂漠で綴られた仮面の人々と狼の熾烈な戦いが一瞬で思い出された。

旋律には激しさもスピード感もあるのに、名シーンはどこかゆったりと通り過ぎていく。フィーアの運命、仮面の王の決意、狼たちの覚悟と記憶……どれもキツく、つらい。だが大切な思い出ばかり。思い出すな、泣くなというほうが「無理」な話だ。

さらに「愚カシイ機械」も原曲の雰囲気を見事に踏襲していて驚かされた。滑らかなのだがエッジの効いた攻撃性をはらみ、だが最終的にはひどくもの悲しい。クレオとPちゃんの映像が映し出された瞬間、気がつかないうちにつるりと涙が頬を伝っていた。彼らの物語の先に『オートマタ』の機械生命体とアンドロイドたちの戦いの物語が連なるのだと思うと、複雑な気持ちにもさせられた。

そうしていよいよ『レプリカント』パートも後半へ。エミールのモノローグに、物語の終わりを感じつつも聴きたい曲がまた立て続けにやってきて困る。「オバアチャン」も「魔王」もじつに素晴らしくて、口が開いてしまう。気圧されて、拍手すら忘れそうになる。聴きたいけど終わってほしくない……そんな気持ちがふつふつと高まったところに、ついにテーマソングである「Ashes of Dreams」がやってくるのだから、もうやっていられない。心と涙腺が大破する。たくさんのエンディングが現れては消えていく。主人公や魔王が求め、未来を信じ、仲間を信じ、戦いつづけ、生き続けて、それでもどうしてもたどり着けなかった穏やかな時間が浅い夢のようにこぼれ落ちていく。

しかし……このコンサートの真骨頂はここからであった。

音楽を繋ぐ映像とモノローグとが、『レプリカント』でプレイヤーが見届けた結末の向こう側へ、ついに私たちを導いてくれたのだ。

ステージ上から、エミールの声が響く。涙まじりの、しぼるような声だった。彼に課された、過酷な運命。どこまでも続く、終わらない孤独。積み重ねすぎていつしか崩れ、心ごと壊れそうな痛いくらいのさみしさが、少ない言葉にこめられていた。

「会いたい」

その声に重なるように流れてきたイントロで、またもや涙腺は決壊していた。これまでもいったい何度、この曲に泣かされてきたことか。だが、やはり「無理」だった。こらえることなどできはしなかった。
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『レプリカント』パートの最後を飾った楽曲は「カイネ」。サプライズゲストとして登場したエミ・エヴァンスさんの透き通るような歌声が、ホールを満たす。弦楽器の奏でる絹のようなメロディが、泣いているすべての人達を慰めるように包んでいく。それでも涙はとどまることを知らなかった。肩まで震えるほど、泣いた。号泣だった。

そうして。このコンサートではじめて綴られた新たなカイネの言葉が、やさしく激しく、胸を貫く。

「泣くな」
「前を向いて、笑ってろ」
「きっと、アイツもそれを……望んでいるから」

「泣くな」とカイネは言い続ける。ツラい思いを抱えるエミールに、彼女はやさしく語りかけた。あの日の図書館でも、そして今日、この日にも。

それは『レプリカント』を経験したプレイヤーには、多くのことが伝わりすぎるほど伝わるひと言だった。感情のすべてを凝縮したかのようなオーケストラの盛り上がりと、エミさんの歌声と、大事な大事な言葉。全部いっしょになって熱く胸を打った。泣きすぎて、すべての音が遠ざかるくらいに泣かざるをえなかった。

「アイツ」と呼ばれたその人はエミールとカイネ、そしてヨナや白の書や仲間たちにかけがえのない時間を与えた。あたたかな記憶をのこした。やさしく、強いその人は、たったひとりの愛する者のために全てを守ろうとし、全てを滅ぼし、そして──自ら選んで、消えていったのだ。

ホールに明かりが戻り、休憩のアナウンスが響き渡っても、すぐには席を立てなかった。「女子トイレ混むから」とか「このスキに物販を」とか、事前に考えていることはたくさんあったはずなのに、どうにも席を立てなかった。

「無理」

正直な話、ここから20分しか休憩がないのにどうやって『オートマタ』に切り替えたらいいのかわからないほど、感動に打ちのめされていた。涙を拭いたハンカチがずしりと重い。化粧をなおすのは早々に諦めた。むろん、後半の『オートマタ』でも顔は崩れるだろうと思ったからだ。

■『ニーア オートマタ』でも、やっぱり「無理」

後半の『オートマタ』パートでは、ナビゲート役が2B役の石川由依さんにスイッチ。『レプリカント』の門脇さんとは舞台の上手と下手で立ち位置を分けるあたりも、さり気なく心憎い演出だ。
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こちらの一曲目は「遺サレタ場所」。パンフレットにもあるとおり、ビオラの旋律がとても印象的なアレンジに仕上がっていて、静かに、だが一息に世界観へと引きこまれた。多くの個性的なエリアを駆け巡ることになる『オートマタ』だが、まず物語全体のイメージや思い出を呼び起こそうというときに、おそらくこれ以上の選曲はない。作品そのものの奥行きを感じさせる後半のオープニングとなった。

そこから2Bのモノローグを挟んで「遊園施設」、そして「美シキ歌」へ。個人的に「遊園地廃墟」は雰囲気もデザインも、そして楽曲も好きなフィールド。廃墟でありながらも華やかなイメージ、けれども不気味……そんな空間で、9Sが2Bにかける言葉がずいぶん人間的に思われて、そこはかとなく不安になった。ロマンチックなフィールドといつもと変わらぬ戦闘とのアンバランスが強く印象に残っている。オーケストラのアレンジでもそのニュアンスは失われることなく、木管のピンと張り詰めたような音色がとても澄んで、美しさと不穏さを際立たせていたように感じた。

そんな妖しい空気も「美シキ歌」で一転する。ボーヴォワールの紅く、暗いイメージは、オーケストラアレンジでより力強く、激しさを増していた。サルトルに恋い焦がれたあまり、殺したアンドロイドの義体で自らを飾り、美しくあろうとしたボーヴォワールの独白が重なる。それがもう、ただただ切なかった。怒涛のように押し寄せるオーケストラによる音の波のなか、一方で虚無のような彼女の苦しみにこちらまで苛まれる……そんなひとときだった。

だが『オートマタ』のセットリストは息つく暇も与えてはくれない。さらに「顕現シタ異物」をたたみかけてくる。これもまた激しいバトル曲……というよりは『オートマタ』は総じてバトル要素が強いので、聴くだけで汗が噴き出すような緊張感が続き、本当に圧倒されるばかりだ。とくに「顕現シタ異物」は、ゲーム冒頭でいきなり降下作戦の危機的状況がスタートし、問答無用のシューティングにたたき込まれて「はい!?」となった状況で聴いた印象も強い。

さらには物語後半で、不吉なアナウンスの流れる「箱」に次々と挑んだ9Sの、あの壊れゆく感情も思い起こさせる。なんともしんどい、だが快楽も覚える……このまま進めたら、メインストーリーもクエストももれなく悲劇に突っ込んでいく、彼は壊れていく、知ってる、でもそれが見たいといえば見たい、見届けたいから進めてしまう……ああ、悲劇と惨劇を見たくないのに見たがってしまう。どっしり重く、規則的なリズムの心地よさと緊迫感……ありとあらゆるものが相反しながら同居して、私自身の欲望を暴き立てるようなこの感じ、そうだ、これぞまさしく『オートマタ』だ……。
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いよいよコンサートも佳境。短いモノローグを挟んで「塔」、「依存スル弱者」、「双極ノ悪夢」へとなだれ込む。白く、どこか儚いイメージの「塔」から、真っ暗で漆黒に染まったイヴを想起させる「依存スル弱者」と来て、屈指のボス曲ともいわれる「双極ノ悪夢」へ。とくに原曲とのイメージ差を感じたのは「塔」だった。ゲームではどこか聴くともなく聴いていた印象が強かったのだが、6分を超える長尺のアレンジとなったこの曲には、たった一曲のなかに流れるような緩急があり、壮大なドラマを感じさせてくれた。

そして「依存スル弱者」ではパワーあふれるコーラスや金管の響き渡るなか、アダムとイヴの新たな言葉が映し出され、人間やアンドロイドの存在に翻弄されたふたりの運命に思いを馳せることができた。

「にいちゃん」

なんてことないその表記がすべてを内包していて、驚くほどツラい。

そんな風にして胸が苦しくなっているところへ、間髪入れずに「双極ノ悪夢」である。「無理」である。ダメ押しにもほどがある。息をつく間もないとはこのこと。もう省略して「双極」と呼んで馴染みすぎているくらいには、本作を代表する激しい楽曲。ただでさえパワフルなボス曲がアレンジによってさらに迫力を増し、客席に襲いかからんばかりの音圧だった。弦楽器の弓の速い動きが、一糸乱れず旋律を奏でる様にも本当に圧倒された。オーケストラのだいご味をMAXで味わえる怒涛の三曲構成だったと思う。
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■さあ、新しい「終ワリ」へと、ともにいこう

モノローグを経て、空気は一転する。荘厳なコーラスとバイオリンの音色に魅了される「追悼」。それから軽やかさと重たさを兼ね備える、迫力たっぷりのアレンジとなった「終ワリノ音」へ。とても厳かで、盛り上がりを見せながらも儚く散るような、ひたひたと「終ワリ」へと近づいていく気配。そのひとときはまるで『オートマタ』で綴られたヨルハ部隊……2B、9S、A2の生き様そのもののようにすら思われた。

音楽は語る。物語のすべてを。

文字は奏でる。新たなる言葉を。

48回目の出会い、48回目の別れ。

使命を果たすべくして生まれ、燃え上がるように戦い抜き、殺して、壊れて、燃え尽き、繰り返して繰り返して、繰り返してもなお──その先にきっと夢見る世界があるのだと。

彼らは知った。だからこそ、ポッドたちは抗った。命令に、運命に、彼らは背いた。

「私達は過去に囚われている」
「私達の未来は呪われている」

「だからこそ、今」
「だとしても、今」

「私達は、戦い続ける」
「私達は、抗い続ける」

「いつか罰が下るその日まで」
「いつか罰が下るその日まで」

涙とともに、私はたぶん微笑んでいた。すべての締めくくりとして2Bが語る。万感の思いを込めて、その名を呼ぶ。どこか幸せそうに彼女は微笑んでいる……ように思われた。

「ありがとう、ナインズ」
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ラストはやはり、この曲しかありえない。メインテーマ曲である「Weight of the World」だ。サプライズゲストのジュニーク・ニコールさんがスポットライトのなかで歌い上げるのは、絶望のなかに残された「光」だと感じた。2Bが、9Sが、A2が、課された運命のなかでもがき、見つけ出した「光」。ポッドたちが彼らとともに生きたことで獲得し、抗う決意を示したことで切り拓いた「光」。

そしてゲームを遊んだプレイヤーも、その物語のなかで生きた彼らも……多くの人たちが時間を費やし、戦い抜いた長い時間を「意味がある」「無意味ではない」と信じた先にある「光」の歌だ。

アンコールである「全テヲ破壊スル黒キ巨人」に至るまで、いつまでも拍手は鳴り止まなかった。そしてアンコールの曲が終わってなお、拍手は鳴り止まなかった。エミールと2Bのナレーションがコンサートの終了を告げて「スクエニのエラい人に言えって言われました!」とエミールが物販コーナーを猛プッシュしてくるまで、私はたしかに『ニーア』という「絶望と希望の物語」のなかに居させてもらった。

本当に、本当にって、何度重ねても足りないくらい、ありがとうございましたと泣きながら言わざるを得ないほど、素晴らしいオーケストラコンサートだった。
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■これからの『ニーア』に「無理」を承知で、何を望むか?

『オートマタ』の世界的大ヒットによってセールス的にも、音楽コンサートという意味合いでも頂点を極めた『ニーア』シリーズ。名実ともにスクウェア・エニックスを代表する人気シリーズの仲間入りを果たしたわけだが、私は今回のオーケストラコンサートでやはり『レプリカント』への愛をいっそう深めてしまった。

会場にはたくさんの若いファンの姿が見受けられ、『オートマタ』はこんなにも多くの人を魅了したのだと実感した。『オートマタ』の大ヒットがなければ、この規模でのコンサート開催なんて夢のまた夢だっただろう。別の視点から見れば、そういう恩恵の上に『レプリカント』の音楽が乗っかっている、と思われても仕方のないことかもしれない。

しかし、だからこそ、『レプリカント』の灯火(ともしび)を守っていきたいと感じた。繋いでいけたらいいなと思った。どうにも単純すぎる自分の小さな感情を、大きな会場の豪華な音楽で再認識した。

残念ながら多くの人に届かず、ハードの変遷によって今のファンが気軽に遊ぶことも難しくなってしまった原点の『レプリカント』を、どうかいつか、より多くの人に遊んでもらえる日が来ますようにと切に願う。そりゃもう『オートマタ』と比べられたら、ゲームとしては難だらけだ。そこは否定できない。多くの人に受け入れてもらえるような作風でもなかった。人を選んだ。それは事実だ。

だけど、あの場所、あのゲームにしかないエミールの物語があり、デボルやポポルの物語があり、図書館の風景があり、イニシエノウタがあり……シリーズタイトルに冠されていながら存在すら消えてしまった「アイツ」の物語のすべてがそこにある。個々の解釈で異なるだろうが『オートマタ』は私にとって光輝く希望の物語として美しいと思えるし、一方の『レプリカント』は深い喪失を伴う絶望の物語として美しいと思える。

『レプリカント』の絶望は言葉にするのが難しい。あのお話はバランスが悪くてとても儚いのに、なぜか強く、白く輝くガラスのような色を宿していて、ひどく美しいのだ。だから、ぜひ音楽を聞きながらプレイしてみてほしい。音楽そのものの魅力はきっと、コンサートに於いての『レプリカント』の楽曲で多くの人にも新たに伝わっているはず。そう信じたい。 だからこそ『オートマタ』から、または音楽という入口から興味を抱いてくれたファンに、気軽に『レプリカント』へと立ち返る道がひらけてほしいと願わずにはいられない。
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■今までも信じていたこと、これからも信じ続けるということ

以下は私の、完全なる余談だ。

今回のコンサートには電撃で一緒に記事を担当したタダツグさんや、今も公式ノベライズを担当されている小説家の映島巡さん、そして『レプリカント』の宣伝担当だったT女史と連れだって見に行った。みなさん「ニーアスキー」ばかりだが、とくに設定資料集「グリモアニーア」の鼎談パートにも少し名前が出ているT女史は、いわばかつての戦友のような存在だ。 知名度の低い新作だった『ニーア レプリカント/ゲシュタルト』というタイトルをどうやって多くの人に興味を持ってもらおうか。メーカーの宣伝担当とメディアの担当ライターとして、あれこれ話したものだった。

当時、まだまだ発売前の段階で彼女が不安そうに言った言葉を、今も覚えている。

「ねえ、サガコ……『ニーア』の音楽すごくいいと思うから、サントラを早めに出そうって提案しようかと思ってるんだけど……売れると思う?」

私は即答した。

「売れるに決まってる! 『ニーア』の音楽は最高だから! いいものは売れるに決まってる!!」

たしか当時、音楽出版の担当は今と同じSさんだった。今現在、オーケストラアレンジの限定版BOXを作りすぎて、売れ残ったらクビになると話題のSさんである(笑)。Sさんも発売前から『ニーア』のサントラにはかなり積極的だったはず。その証拠に発売後、ゲームサントラとしては異例のヒットを飛ばしたとわかるやいなや、さまざまなアレンジアルバムを仕掛けた。結果的に「『ニーア』は音楽ばっかり評価される」というヨコオさんの嫉妬を煽った張本人ともいえるだろう。

取材を終え、パシフィコ横浜から東京へと帰る電車の中で、今は『ニーア』とは別のタイトルを手がけるT女史に私はどうしても伝えたかったことを話した。

「今日のコンサートと『オートマタ』の大成功に対して、私たちが何をしたわけでもないけどさ……でもね、8年前の発売前に「『ニーア』の音楽は良い」ってあなたと私がまず信じたでしょ。それが関係あったかどうかわからないけど、結果的にサントラが無事に発売されてね、さらにSさんがアレンジ盤とか出して流れを繋いでくれてね、バイプ椅子並べただけのピアノコンサートがあったりしてね……『レプリカント』とその音楽が世に出る前から、私たちが「これは素晴らしいものだ」と信じて信じて、信じきったことは無駄じゃなかったと、今日、思ったよ」

T女史は「そうかなあ」と言って、照れくさそうに笑っていた。

「……そうだったらいいよね」

私は電車に揺られながら、ひとつのエンディングに辿り着いたような気分だった。2018年9月17日のオーケストラコンサート。『レプリカント』からのファンは8年をかけてここまで来た。『オートマタ』からのファンは1年半をかけてここまで来た。パシフィコ横浜に来た誰もが、ニコニコ生放送で配信を見届けたファンの誰もがもれなくきっと信じていたはずだ。

『ニーア』の音楽は間違いなく素晴らしいものだと。

『ニーア』の音楽にとって、ここが最終到達点なのか、夢の途中なのかは誰にもわからない。ただ、いちファンとしてわかることがある。このコンサート、この日という1日は、本当に本当に素晴らしい、幸せな記憶となった。ヨコオさんはもちろん、齊藤さんや岡部さん……しょっちゅう表に出るエラい方から表に出ない方まで、改めて『ニーア』シリーズにかかわり、ゲーム開発に音楽、映像、グッズに宣伝にと、さまざまなコンテンツを手がけてくださったすべてのスタッフさんに感謝したいと心底思った。

スタッフのみなさんのお仕事のうえに今日のコンサートがあり、ファンのみなさんの応援のうえに今日のコンサートがあった。これを素晴らしい到達点と言わずしてなんと言おう。そして叶うことなら、どうかこれがまた新たな通過点となりますように。

言葉はどうやら無駄ではないようだ。無力でもないようだ。こうして書いてみたら「無理」の先にも伝えたい言葉はきちんとあった。

今はただファンとして、全方位に向かって、いつまでもこの言葉を繰り返していたい。オルゴールのようにいつまでも、声が枯れるまで。

『ニーア』、その素晴らしい音楽を届けてくださったすべての方に、素晴らしい作品を届けてくださったすべての方に、素晴らしい場をつくってくださったすべての方に。

「本当に本当に、ありがとうございました」

そして……ニーア。あなたがいたから、前を向いて歩いてこれた。いつまでも、ありがとう。
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テキスト:サガコ(Sagako) フリーライターときどき小説家。ゲームやアニメ、テレビが好きだけど腐女子にもなりきれず夢女子にもなれず、すべてにおいてハンパな人生を謳歌中。舞台「少年ヨルハ」や「NieR Orchestra Concert 12018」ではパンフレットのテキストを担当。不思議なご縁で「水曜どうでしょう」関連の書籍も手がけています。
ツイッターアカウント→サガコ@sagakobuta

電撃文庫「リペットと僕」

Photo by Shinjiro Yamada
シシララTV オリジナル記事