オンライン化の転換が急速に進むゲーム市場で、「ゲームサービス業」という新たな業態を創造した株式会社マイネットの代表取締役社長・上原仁氏と、ゲーム実況&総合エンタメサイトの運営に尽力する「シシララTV」の代表である安藤武博。さらに、この2人を引き合わせた張本人で、Webコミュニティを愛するギークなお姉さん・べにぢょによるエンタメ論議をお届け。前編では、上原氏がどのようにしてゲームサービス業という業態に辿り着いたのかを探っていく。
■マイネットグループの代表である上原仁の数奇な人生とは?
安藤武博(以下、安藤):本日はよろしくお願いします。上原さんは、わたしが今、もっともお会いしてお話をお聞きしたいお相手だったので、とても光栄です。
上原仁さん(以下、上原):そうなんですか? ありがとうございます。
安藤:上原さんとの出会いのきっかけは、おととしの6月30日に開催した「安藤武博ナイト(※)」にお越しいただいたことでしたよね。それまで上原さんのことは存じ上げていなかったのですが、べにぢょさんが連れてきてくれて。
(※)数カ月後にスクウェア・エニックスを退社予定だった安藤が、これまでつくったゲームをデビュー作から振り返った関係者限定イベント。本人いわく「スクエニの誰もが送別会を企画してない段階で、自ら事実上の送別会をやってみた」とのこと。
べにぢょさん(以下、べにぢょ):どうしても安藤さんと上原さんを引き合わせたかったんです。お2人が出会ったら、絶対に面白い何かが生まれるだろうという確信があったんですよね。安藤さんは人との出会いや会話からゲームのアイディアを生み出す人だし、仁さんも「インターネットの“どこでもドア”を作りたい」というぐらいネットコミュニティを大事にする人ですし、きっと波長が合うと思っていました。
安藤:そうだったんですね。ただ、当日はなにも聞かされていなかったので「どうして上原さんがここにいるんだろう?」と疑問だらけでしたよ。しかもそのときの上原さんの第一声が「ようこそ」だった。
べにぢょ:あははは。そうでした!
安藤:あとになって、わたしが起業することに対しての激励の言葉だと気付きました。
上原:言葉足らずでしたね。おっしゃるとおり、「ようこそ、こちら側へ」という意味でした(笑)。
べにぢょ:カッコいい!(笑)
安藤:上原さんとはそんな運命的な出会いを果たしたわけですが、なぜ今、このタイミングで鼎談させていただこうと思ったかというと! シシララも3期目に突入した今、これからの会社運営について、ぜひ業界の大先輩にご指導いただきたかったんですよね。
べにぢょ:仁さんは10年以上も会社の代表をされていますから、頼りになると思います。
上原:いえいえ、そんな持ち上げ方されましても(汗)。
安藤:上原さんが起業されたのは2006年ですよね。そのときわたしは『疾走、ヤンキー魂。』というオンラインゲームをプロデュースしていました。そして、べにぢょさんはそのゲームの熱狂的なファンでした(笑)。
べにぢょ:『ヤン魂。』最高ですよ!
安藤:ありがとう(笑)。というわけで、本日は3人で鼎談をしながら、シシララTVのブレイクスルーのポイントを探し、かつそのなかで業界の現状や抱える問題にも迫っていければいいと思っています。
上原:なるほど! わかりました。
安藤:ではまず、現在のシシララTVについてざっくり説明させていただきますね。シシララTVは先ほどもお話したとおり、3期目に突入しました。1期目は、いわゆる創業期の「ご祝儀相場」もあり、前職の繋がりから多くの仕事をもらっていました。そして2期目からは、わたしに力を貸してくれる新しい同志もたくさん出来たため、新規のお仕事にもチャレンジできるようになったんです。それ自体はとても満足しているのですが、時間もアイディアもすべて費やしているなかで、なかなか事業としての目に見える成功まで辿り着かないのが現状でもあって。
べにぢょ:生放送とかコラムはすごくおもしろいですよね。ただ、それをどうマネタイズするかというと、難しい問題かも。
上原:オフィスにもゲームのグッズがたくさんあって、お邪魔した瞬間にすごくワクワクしました。ここに安藤さんの魂が込められているというか、シシララTVの「ゲーム愛」がすごく伝わってきましたよ。
安藤:ありがとうございます。シシララTVの事務所は「ゲームの博物館」をテーマにしているんですよ。おかげさまで最近は、シシララTVの認知度も少しずつ上がってきており、今はとにかくやれることは全部やろうと思っています。
上原:やりたいことがあり、それを実現されていることはとても素晴らしいです。しかし「なんでもやる」という考えは、少し危険な方向性でもありますね。なんでもやるということは、それだけ力が分散してしまうことを意味しますから、ライバルに負けてしまうことがある。
安藤:なるほど。
上原:たぶん、安藤さんはなんでもできてしまう人なので、いろいろなことに手を出したいのだと思います。
べにぢょ:前の会社でも自由にゲームを作っていましたけど、起業してさらに自由になられた印象がありますよ。
上原:わたしはいろいろなことに手を出して失敗してしまったので、安藤さんにはぜひ反面教師にしていただきたいです。
安藤:そうなんですか?
上原:はい。今はゲームを買い取って運営することだけに集中させてもらい、それだけで勝負させてもらっていますが、やはり世間で成果が出ていると知られた事業は、みんながマネをするんです。そのなかで生き残るには、頭ひとつなにかが突き抜けてなくてはいけない。だから、わたしはゲームの運営に力を絞り、このフィールドでトップになろうと思いました。
安藤:なるほど。そこに至る前に多くの挫折があったのですか?
上原:まず、わたしが事業を立ち上げた2006年は「Web 2.0」と言われる時代でした。
べにぢょ:Web 2.0……「誰もが情報を発信できるようになった」ことを表すIT用語ですね。
上原:はい。わたしはそんな時代に乗っかって、6つぐらいのソーシャルメディアを立ち上げました。最初こそ大手のメディアにも紹介してもらって好調だったのですが、1年半ぐらいが経ったときには、キャッシュがほとんど溶けてしまいました。「これはまずい……」と思っているときに、リーマンショックまで起こってしまって、さあたいへん。
べにぢょ:最悪のタイミングじゃないですか。
上原:リーマンショック自体はアメリカでも先に起こっていたので、ある程度は予見できたんですけど、それでもきつかったですよ。「俺はインターネットで世界を変えるんだ!」なんて思っていただけに、大きな挫折でした。それが2期目、3期目くらいのことです。
安藤:ちょうど今のシシララTVぐらいの時期ですね。
上原:はい。仕方がないので、そこから数年は外堀を埋める作業に終始し、2010年からやっと黒字でやっていけるようになりました。軌道に乗るまでは4~5年かかった計算です。
べにぢょ:なるほど……。でも起業してから5年も経ってしまうと、スタートアップ扱いされなくなってしまいますよね?
上原:そうです。5年経つと普通の中小企業扱いになってしまいます。しかし、そのころには年商2.5億の企業になっていましたし、メンバーも30人ぐらいはいましたね。
安藤:すでに立派な中小企業ですね。
上原:ええ。ただ葛藤もありました。インターネットで世界を変えるといっていた男が、ただの中小企業のおっさんになってしまったわけですから。そのあとはモラトリアム期間に突入しました。当時、外食業界向けの事業を展開していたので、飲食業界の専門学校に通ったり。
安藤:それはおいくつぐらいのときだったんですか?
上原:35歳ですね。35歳で新しい学友ができるというのは、なかなかおもしろい体験でしたよ(笑)。その後は専門学校で教える側の人間に回っていくのですが、あるとき完全に自分がやりたいインターネット事業とは真逆にいることに気付きまして……。
安藤:そのとき、上原さんはどんな決断をさせたんですか?
上原:新しいことに挑戦するため、スマ―トフォンのサービスをはじめました。しかし、今度は東日本大震災が起きたり、当時は外食産業とスマートフォンのサービスがうまくかみ合わなかったことなどもあり、またもや失敗することになったのですが……。
安藤:波乱万丈な人生ですね。
上原:はい……。そのあと、お正月に実家の滋賀県へ帰ったとき、キャッシュがなくなって会社が倒産する初夢を見たんです。あれには焦りましたよ。「このままではダメだ」と思い、着の身着のままで琵琶湖まで走り、比叡山を見ながら「ここから人生を切り替えよう」と誓いました。
べにぢょ:まるでマンガみたいなストーリー(笑)。
上原:本当にね(笑)。そのとき、月商を3倍にすることを心に誓い、達成するまではお酒を断つことにしました。それが2012年1月です。
べにぢょ:その時期の仁さんは完全に裏方に徹してましたよね。上原さんはいつも「インターネットで“どこでもドア”を作りたい」とおっしゃっていたのですが、どこに行っても見当たらなくて心配で。
安藤:本当に“どこでもドア”でどこかに行ってしまったのではないかと?(笑)
上原:ある意味、健康的な生活を送っていたんですけどね。お酒を断ったことで食が進み、身体も太ってしまっていたので、早朝のランニングなんかも始めました。
安藤:仕事のほうはいかがでしたか?
上原:2006年にわたしが起業したときの友人たちがソーシャルゲームの第一線で活躍していたので、その方たちに相談に乗ってもらいました。そのなかで、「これこそが自分のやりたいことなんだな」と気付いた感じです。
安藤:それは具体的にはどういうことでしょうか?
上原:私はネットコミュニティがずっと大好きだったのですが、食っていけるレベルに育ったサービスはごく少数だった。ただ、ソーシャルゲームがブームになったときに、やっと人のつながりのネットコミュニティ上に経済が回ったんですよね。わたしの大好きな“インターネットコミュニティ”がゲームと結びついたおかげできちんと食える仕事になった瞬間でした。
■ネットゲームでクリエイターとプレイヤーの距離が近づいた瞬間
安藤:ここからは、上原さんの考える経営についてもお聞かせください。
上原:わかりました。マイネットグループのスローガンには「ゲーム作りは国作り」というものがあります。住んでくれる人がワクワクするように、運営は国を発展させ続ける必要があります。
安藤:それはゲーム作り……とくにオンラインゲームと同じ考え方ですね。運営のトップをやっていると、必ずしも100%の賛同を得られることは不可能です。内閣の支持率で言うと45%ぐらい……それでも上出来なんですよね。
上原:その例えは面白いですね。わたしも内閣で例えると、Webエンジニアたちが国土交通省、デザイナーが科学技術庁、そしてカスタマーサポートの人たちが国会議員ですよね。国会議員は街の選出エリアの人から陳情を受けるわけですが、それをぜんぶ聞いていると財政破綻してしまいます。どの政策を打てばみんなが幸せになれるのか、とことん考え抜く必要があります。
べにぢょ:でも、そこに選ばれなかった人たちにはボロクソに言われてしまうんですよね……(苦笑)。
安藤:わたしはゲームがパッケージのゲームしか存在していないころ、たまたまオンラインゲームを手掛けることになったのですが、プレイヤーさんからの怒りを剥き出しにした意見などが直接こちらに伝わってきたのがビックリしました。もう挨拶のように「安藤氏ね」と言われていましたが、「氏ね」は「こんにちは」の挨拶なんだと思うことにしたんです。わたしは、「好きの反対は無関心」だと考えていますので、どんな反応であれ、リアクションをもらえること自体がありがたいことだと思うんですよ。
べにぢょ:なるほど。安藤さんらしい。
安藤:そうこうしているうちに、サービスを終了しなければならなくなったわけですが、そこでプレイヤーさんたちから「今まで氏ねって言ってきてごめんなさい。生きろ!」という署名が数千人ぶん届いたんですよ。
べにぢょ:ステキですね! わたしも『疾走、ヤンキー魂。』の大ファンなんですよ。この作品に出会ったおかげでインターネットの魅力に目覚めて、ネットサービスの仕事がしたいと思ったんですでも、『疾走、ヤンキー魂。』は本当に不具合が多くて、当時は「このプロデューサーの安藤っていう人はなんなんだ!」と思っていました(苦笑)。
安藤:ネトゲ黎明期にノリや感覚でつくったものですし、ゲームとして多くの部分が破綻していましからね。
べにぢょ:「安藤氏ね」や「安藤の思惑通り」といった言葉は、辞書登録していました。でも怒りをぶつける先があるというのは、ネットサービスではいいことだと思うんです。ユーザー同士で争わなくなりますから。ただ、驚いたのは安藤さんが自分のノートパソコンでゲームの世界に入り、直にユーザーたちに事情の説明と謝罪をしてくれたこと。あれには本当にビックリして。
安藤:でもノートパソコンの性能が低くて、すぐに落ちちゃうんだけどね(笑)。
べにぢょ:そうそう(笑)。それまでわたしは、ゲームにおいて作り手と受け手は絶対に交わることがないと思っていたんですが、ネットゲームではそれが簡単に覆るのだと教えてもらいました。わたしたちユーザーの意見がちゃんと作り手に届いていて、そのアイデアがフィードバックされるということが新鮮だったんです。
安藤:やりたくてもできないことも多かったんですけどね。まだモデルケースもなかったので、とにかくわからなかった部分のほうが多い。
上原:インターネットにしろオンラインゲームにしろ、自分たちが開拓者でしたね。
安藤:当時は月額課金しかビジネスモデルがありませんでした。そのため「ここの世界にいたい」と思ってもらえるようなゲームを作ることに専念していました。
上原:この10年でゲーム産業のオンライン化は進みましたね。それまではソフトウェアにお金を払うのが主流でしたが、現在は完全に「サービスにお金を払う」システムに移り変わっています。
安藤:そして上原さんもゲームの運営という仕事に注力していくわけですね。後編ではそのあたりのお話を聞いていければと思います。
(後編に続く)
後編はコチラ→「運営」という関わり方でゲームに魂を捧げる──その意義とやりがいとは
テキスト:カワチ(Makoto Kawachi) 1981年生まれ。ライター。ビジュアルノベルに目がないと公言するが、本当は肌色が多けれななんでもいい系のビンビン♂ライター。女性声優とセクシー女優が大好き。
ツイッターアカウント→カワチ@kawapi