前編はコチラ→人と人とのつながりが生んだ奇跡──マイネットグループがゲームサービス市場のパイオニアになった理由とは?
■上原氏を成功へと導いた3人のキーマンの存在
安藤武博(以下、安藤):前半ではおもに上原さんの波乱万丈な人生についてお聞かせいただきましたが、後半ではソーシャルゲームの運営について、より詳細にお聞かせ願えればと思います。
べにぢょさん(以下、べにぢょ):2010年以降は本格的にインターネットとゲームが交わってきて、上原さんもゲーム事業へと進んでいくんですよね。
上原仁さん(以下、上原):Google Playが登場したタイミングぐらいで『ファルキューレの紋章』というゲームの運営をはじめました。セールスはトップ10に入り、2012年の12月から1月の売り上げを比べると4倍も伸びていました。あのときの感動は、起業してから3本の指に入るぐらいのうれしさでしたね。
安藤:2012年は『パズル&ドラゴンズ』がリリースされて、スマホ向け基本無料ゲームの人気が爆発した年ですね。わたしが『拡散性ミリオンアーサー』を発表した年でもあります。
上原:運営が好調だったので、それまでやっていた事業を売り、4億円ほどの資金を得ました。その後、Androidのゲームに一点集中して、韓国やシンガポールにも進出したのですが……そこでまた躓いてしまって。まずiOSが力をすごく伸ばしてきましたし、韓国やシンガポールにはそれぞれオンラインゲームの盟主がいて、簡単には太刀打ちできなかったんです。そうして2013年の8月には2ヶ月後の資金繰りが赤字になり、このままだと2カ月後に会社が倒産してしまうことが確定したのですが、そのときわたしに3つの奇跡が起きました。
安藤:それはなんでしょうか?
上原:まずは、現在セガゲームスで取締役CSOを務めておられる岩城農さんとの出会い。岩城さんは、わたしに今後ゲームは開発事業だけではなく、運営事業も重要視される時代になると最初に示してくれた方なんです。
べにぢょ:なるほど。
上原:次にミクシィの創業者である笠原健治さんの救いの手。笠原さんには現金で3000万円を融資していただきました。それがなければ、わたしの会社は確実に倒産していましたので、本当に感謝しています。そして最後に、元スクウェア・エニックスの和田洋一さんの講演をお聞きできたこと。和田さんは講演などで「これからゲームは運営の時代になる」と言い切っておられて、それがわたしにブレない勇気を与えてくれたんです。和田さんには最近、マイネットグループの戦略顧問にも就任いただきました。
安藤:では、その3つの出会いこそが上原さんの将来を変えた、と?
上原:はい。とにかくゲームの運営事業で一点突破を図ろうと決意しました。まずはセガさんに『ドラゴンコインズ』をお任せいただき、運営としての自信をつけさせていただきました。その後は起業したときからの旧友たちのツテで、GREEさんのタイトルなども預けていただくことになりました。