フリーランスになって最初の仕事は『ダービースタリオン』──松前真奈美×安藤武博 対談【サウンドコンポーザーに訊く!/連載第5回・後編】
『ロックマン』の作曲家として世界的に有名な松前真奈美氏。80年代後期のカプコンのサウンドを支え、若い世代のフォロワーやリスペクトも多く受けている。後編となる今回は、結婚を機にカプコンを退社し、東京に出てきてフリーランスとしてゲームメーカーへの営業を通して作曲活動をしてきた話をメインにお届けします!
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松前真奈美(写真左)
1987年にカプコンに入社し、サウンドチームに配属。『ロックマン』『天地を喰らう』(AC版)、『エリア88』、『ファイナルファイト』、『マジックソード』、『U.S.ネイビー』などの作曲に関わる。1990年にフリーランスの作曲家に転向し、『ダービースタリオン』、『エスパードリーム2 新たなる戦い』、『ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔』などの作曲に関わる。2017年には作曲家活動30周年を記念し、初のオリジナルソロアルバム『Three Movements』をリリースした。

前編はコチラ→『ロックマン』のサウンドが世界で愛され続けている理由
■使える音の多さからアーケードゲームのサウンド制作に

安藤武博(以下、安藤):前編から引き続き『ロックマン』のお話になりますが、『ロックマン2 Dr.ワイリーの謎』の音楽は共作になるんですよね?

松前真奈美さん(以下、松前):『ロックマン2』は共作というか、私はほとんど作ってないんです。『ロックマン2』のオープニング曲が『ロックマン』のエンディングの一部フレーズを使ったアレンジになっているのと、エアーマンの曲の4小節くらいのメロディを書いたから、クレジットはされているんですけどね。

安藤:ゲームのナンバリングタイトルって同じ方が作る傾向が多いと思うんですけど、そこへのこだわりはなかったんですか?

松前:じつは、カプコンに入社して1年ほど経ったとき、コンシューマチームにいくかアーケードチームにいくかという選ぶ機会があったんですよ。そこで私はアーケードに行きたいって言ったんです。

安藤:どうしてアーケードに? その選択の理由も教えてください。

松前:その答えはものすごく単純で、使える音の数が多かったからですね。アーケードだと同時に6音使えたので、ちょっとしたコード感も出せるかなって思って。その後に立石孝君が新人でカプコンに入ってきて、彼が『ロックマン2』を担当することになったんです。

安藤:『ロックマン10 宇宙からの脅威!!』でシリーズのコンポーズに復帰されていますが、これはどういった経緯だったんですか?

松前:『ロックマン10』は1作前の『ロックマン9 野望の復活!!』と同様、開発をインティ・クリエイツさんが担当されています。『ロックマン9』のアレンジアルバムには私も1曲アレンジ曲を提供したんですが、そちらの評判が良かったことがひとつ。そして『ロックマン10』はシリーズ10作目の記念碑的な作品になるから、歴代のコンポーザーを集めて作りましょうということもあって、私も1曲参加させてもらいました。

安藤:『ロックマン10』が2010年にリリースされているので、シリーズ参加は約23年振りになりますよね。このとき、久しぶりに『ロックマン』の曲を作ることになられたわけですけど、どういう感覚でしたか?
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松前:『ロックマン』シリーズは、ずっとほかのコンポーザーの方が曲を作っていって、着実に進化していますよね。でも、私自身は何か特別に意識することはありませんでした。「まずは私が担当するステージのゲーム画面を見せてほしい」とお願いしたら、高速で走るステージだということがわかったので、そのイメージに合わせて作りました。それが「NITRO RIDER」という曲になります。

安藤:『ロックマン』は今もシリーズが続いていますが、松前さんが最初に作られた曲の作法が発展解釈されて受け継がれている気がします。そうした状況をご覧になって、松前さん的にはどんな気分なんでしょうか?

松前:私としては、『ロックマン』がこんなに長く続くシリーズになるとは思っていなかったんですよ。最初の『ロックマン』の曲を作った時も、これはこれで終わりだろうなと思っていて、続編が出るなんて思ってもいませんでした。

安藤:最初は確かにそうでしたよね。おそらく、少年向けのマンガ誌に『ロックマン』のマンガが載ったのが、ヒットの要因のひとつだったのではないでしょうか。

松前:それはあるかもしれませんね。続編の『ロックマン2』はヒットしたので、あとは安定してシリーズ化していったんだと思います。

安藤:そのころ、松前さんはアーケードゲームに関わられていたと思うんですけど、カプコンのシステム基板であるCPシステムのクセとか思い出とか、いっぱいあると思うんですが、そのあたりはいかがですか。

松前:『天地を喰らう』のころはBGM用にサンプリングが使えなかったので、ドラム音をタム系に似せた音を作って使っていました。『ファイナルファイト』からはサンプリングが使えるようにしてもらったんですが、だからといって簡単にいい音が出せるのかと思ったらそうでもなくて。単純に、いい音を出そうとするとすごく容量を食ってしまうんですね。

だから今度はレートを落とすことになるんですけど、そうすると音のなかに微妙な空間ができてしまって……。そんな感じでサンプリングを使いこなすのがたいへんだった記憶があります。

安藤:サンプリングというと、『天地を喰らう』ではボイスが入っていますけど、あれはサンプリングなんですよね?

松前:そうですね。ボイスは全部当時の社員の方の声を収録しています。もともと、ボイス用の領域ではサンプリングが使えたんですけど、BGMのほうでは使えなかったんですよ。それをBGMの領域でもサンプリングを使えるようにしてもらったんです。

安藤:私はシンセサイザーも触るんですけど、シンセ界隈だと、旦那さまである松前公高さんのお名前もよくお見かけしていたんですね。何をお聞きしたいのかと言いますと、音作りが得意な方がすぐそばにいらっしゃるわけです。そこで情報交換みたいなことはされているのかが気になりまして。

松前:私がカプコンにいたころは、まだ彼とは知り合ってなかったんですよ。

安藤:ミュージシャン同士ということで、ゲームのコンポーズに影響があったり、利点みたいなのはありましたか?

松前:いえ、それがまったくないんですよね。それぞれ別の部屋で仕事していますし。

安藤:これは想像なんですけど、自宅の作業場にはタンスのように機材が積まれているイメージがあるんですが、実際はどうなんでしょうか?

松前:東京に居たころは、まさにそんな感じでしたね(笑)。本当にタンスみたいでしたよ。すごく大きな機材がいっぱい置いてありました。
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■フリーランスになった後、アスキー、コナミ、サンソフトに営業へ

安藤:松前さんがカプコンを退社されてフリーになられたのはいつごろでしょうか。

松前:1990年のことです。結婚して東京に行くことになったので、それを機会にカプコンを辞めました。

安藤:フリーになって最初に関わられたタイトルは?

松前:最初はファミコンの『ダービースタリオン』です。カプコンを辞めるときに、引き続き外注でお仕事をしたいですと伝えたんですが、当時のカプコンは作曲家がいっぱい所属していたのでそもそも外注というシステムがなかったんですよ。それで仕方なく東京に来てからアスキーさん、コナミさん、愛知のサンソフトさんを営業して回りました。

ちょうど『エリア88』とかが売れていた時期だったこともあり、業界でもそれなりに名前が知れていたので、すぐお仕事をいただけることになりました。そうして『ダビスタ』、そして次がコナミさんの『エスパードリーム2 新たなる戦い』ですね。

安藤:カプコン所属時代から、フリーランスになって色々なゲームメーカーさんとお仕事するようになったわけですけれど、変化したことってありますか。

松前:フリーランスになってからは作曲だけをやるようになりました。効果音は自社の方が作っていましたので。曲を書くといっても、データ入力は各社開発の方にお任せって感じで、私はシンセで曲を作って渡すだけになりましたね。

安藤:ついに音色作りから解放されたわけですか!

松前:そうなんですよ。でも、サンソフトさんのタイトルに関してはツールを借りてデータ入力までやっていました。サンソフトさんは音がすごくよかったんですよ。

安藤:サンソフトさんというと、具体的に派どんなタイトルに関わられていたんでしょうか?

松前:ゲームボーイのタイトルが多かったですね。『バットマン リターンオブジョーカー』、『ルーニー・テューンズシリーズ ダフィー・ダック』、『炎の闘球児 ドッジ弾平』とかですかね。このあたりのゲームは効果音以外の音色作りも含めて全部やりました。

安藤:先ほど挙げられたゲームメーカーさん以外に、イマジニアさんのタイトルも手掛けられていますよね。

松前:イマジニアさんとの仕事のきっかけは、確かゲームボーイの『ロロの大冒険』の作曲を担当した時に、イマジニアの企画の方を紹介していただいたんだと思います。それで、デーモン小暮さんが曲の監修をしていた『G.O.D~目覚めよと呼ぶ声が聴こえ~』に関わっています。
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安藤:『G.O.D』というと、遅れてきたスーファミの大作RPGみたいなイメージがありますよね。時代的にはプレイステーションなども発売されていたころです。フリーになったときってとにかくたくさんのメーカーさんに営業に行かれたんですか? それとも狙い撃ちでこのメーカーさんって感じでご連絡されたのでしょうか?

松前:たくさん仕事を受けてもこなせないので、そこはある程度絞って連絡していきました。

安藤:たとえば「スクウェアに営業に行ってRPGに関わる」みたいなことは考えなかったんですか?

松前:なかったですね、スクウェアさんはすごく大きい会社でしたし。いや、アスキーさんも大きい会社だったんですけど(笑)。

安藤:カプコンさんもコナミさんもサンソフトさんも大きな会社じゃないですか(笑)。

松前:そうですよね(笑)。でも、スクウェアさんってRPGのイメージが強かったじゃないですか。私はそれまでアクションゲームの音楽ばかり作っていて、RPGの曲を作ったことがなかったんですよ。だから、どこか遠慮したところがありました。

安藤:そんな松前さんが、突然『ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔』に関わるというのがおもしろいですよね。わたし自身は『ドラゴンクエストソード』を作っているころはスクウェア・エニックスに所属していたんですけど、あのゲームは『ドラゴンクエスト』に新しい風を吹かせようとしていたタイトルに見えていました。

松前:そうだったんですね!

安藤:わたしは戦闘曲の「当たって砕けろ」が好きでした。今までの『ドラゴンクエスト』とはどこか異なる、新しい演出が入ったなと感じましたから。あのころからプロデューサーの市村龍太郎さんが神風動画さんと組み始めて、『ドラゴンクエスト』も『ファイナルファンタジー』のように、ビジュアルに力を入れるようになったんですよね。

あと、『ドラゴンクエストソード』のクレジットにはすぎやま先生と松前さんの2人が併記されていますけど、実際にゲームをプレイしながら曲を聴いていても、どの曲がすぎやま先生でどの曲が松前さんの曲なのかというのは、まったく意識せずに遊べていましたね。

松前:それはうれしい褒め言葉です! すぎやま先生の作る曲によって形作られる『ドラゴンクエスト』のイメージというものが確実に存在するので、それを壊してはいけないって思いが強かったんですよね。
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安藤:『ダビスタ』で一緒にお仕事をされたことで、すぎやま先生に対する理解が深まっていたのではないでしょうか。

松前:いやー、それはないと思います。どちからというと、それまでに『ドラゴンクエスト』をユーザーとしてプレイしてきて、すぎやま先生の曲をずっと聴いていた影響が強いのではないでしょうか。『ドラゴンクエストソード』の曲を作るとき、すぎやま先生から何も言われなかったんですよ。「松前さんが思ったように曲を書いてください」と。逆にそれがプレッシャーになりましたね。

安藤:どういう形で『ドラゴンクエスト』とすぎやま先生の世界を理解されていったんですか?

松前:覚えやすいメロディを書いたほうがいいだろうなということですね。そこの部分が無くなると『ドラゴンクエスト』ではなくなるなと思ったので。

安藤:『ドラゴンクエストソード』の楽曲を作るうえで、すぎやま先生との印象的なやりとりはありましたか?

松前:楽曲提出と合わせて、楽譜も提出しないといけなかったことでしょうか。今まで楽譜で提出したことなんてなかったので、MIDIデータを楽譜に落とし込むソフトを買って、プリントアウトして提出しました。

安藤:それはすぎやま先生ならではですね。すぎやま先生はマスターアップ直前まで実際にゲームもテストプレイされて、「読み込みのタイミングが思っていたのと違うから修正したい」といったレベルでのチューニングをされるというのを、『ドラゴンクエスト』を作っているチームから聞いたことがあります。『ドラゴンクエストソード』でもそういったエピソードがありましたか?

松前:それはありませんでしたね。そもそも、なぜ『ドラゴンクエストソード』の曲をすぎやま先生が担当されなかったのかと言うと、『ドラゴンクエストソード』って実際に自分の腕を振ってアクションするゲームじゃないですか。それだとテストプレイするうえで、すぎやま先生の体力的に負担が大きいだろうということで、私がお声掛けしてもらうことになったんです(笑)。

安藤:そういう理由だったんですね! それは納得できます。……ということは、松前さん自身も『ドラゴンクエストソード』はかなりテストプレイをされたんですね?

松前:もちろんたくさんテストプレイしましたが、ゲーム自体じゃあまりうまくないのもあって、音楽チェック用にプレイヤー側の当たり判定を抜いてもらったROMを用意してもらいました。それでも腕がパンパンになりましたけどね(苦笑)。
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■『ロックマン』がなかったら30年間も作曲の仕事をしていなかったかもしれない

安藤:これまでいろいろなゲーム音楽を作られてきたと思いますが、振り返ってみて一番思い入れのある作品というと何になりますか?

松前:すべて思い出深いんですけど、あえて1つ選ぶとしたら、やっぱり『ロックマン』になりますね。すべての作業を担当させてもらった最初のタイトルでもありますし、たいへんだったぶん思い入れも大きいです。『ロックマン』がなかったら、私は30年間も作曲の仕事をしていなかったかもしれません。

安藤:やっぱり『ロックマン』なんですね。そういえば最近は、オリジナルのソロアルバムもリリースされていましたよね。

松前:クウェートの『ロックマン』好きで、現BraveWaveの会長であるモハメド タヘルさんから連絡があって、今度音楽レーベル((BraveWave))を立ち上げるからぜひ参加してくれないかとオファーされました。そのレーベルで曲を作ったりアレンジをしたりしているうちに、私の作曲家活動30周年を記念してオリジナルアルバムを作ってみないか? というお話が出たので、がんばって作ったものになります。

安藤:アルバムタイトルが『Three Movements』ということで8BIT、16BIT、オーケストラという構成になっているんですよね。

松前:私が最初に作曲をしたころは8BITのファミコンでしたが、その後スーパーファミコンになり、プレイステーションになりと、ゲームのハードもどんどん進化していきました。その道筋と同様に、アルバムの曲も音源が進化していくというのがコンセプトなんです。

安藤:コンセプトはゲームの文脈でありながら、ゲーム画面がまったくない状態で曲を作られたと思うんですけど、どのようなストーリーやインスピレーションで作っていかれたんですか?

松前:頭のなかにゲーム画面をイメージしながら作っていきました。例えば1曲目の「Select Your Hero」だったら、プレイヤーキャラを選択する画面での曲をイメージして作っています。

安藤:ちなみに松前さんは8BIT、16BIT、それ以降の制限のない時期のなかで、どの時期が一番お好きですか?

松前:16BIT期ですね。音色がたくさん使えるのが理由です。でも、今オファーで一番多いのは8BITだと思います。昔は制限があるなりに楽しかったですね。今は制限がないから好きなことができるわけですが、逆にそれがたいへんでもあります。

安藤:最後に、ゲーム音楽もこの30年で進化してきましたけど、この先ゲーム音楽のコンポーザーになりたいという方に向けてアドバイスをいただけますか?

松前:ゲーム音楽を作る場合、ゲームの画面に合う曲を作らないとプレイヤーの印象に残らないと思うんです。でもそのゲーム画面にどんな曲が合うかを理解するには、色々な音楽を聴いていないといけないと思うんです。たくさんの音楽に触れて自分の引き出しをたくさん持つようになってほしい。それが私の持論ですね。

安藤:ゲームに合う曲を作る……大切なことですよね。今日はいろいろなお話聞かせていただいてありがとうございました!
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■初のオリジナルアルバム『Three Movements』が完成!

松前真奈美さんが作曲家活動30周年を迎えたのをきっかけに制作された初のオリジナルソロアルバム『Three Movements』がリリース! 8BITに始まり、16BITを経てストリングスを取り入れた楽曲へと展開し、楽曲が進むにつれて同時に音源の進化も感じ取れるアルバムに仕上がっている。『ロックマン』や『エリア88』など、80年代のカプコンのゲームに親しんだゲームファンはもちろん、チップチューンや幅広くゲ-ムミュージックに親しんでいるファン必聴の内容だ。

BraveWave 公式サイト
Three Movements Bandcampサイト
松前真奈美さん Twitter


テキスト:風のイオナ(FLOOR25) ゲームと音楽と旅と自転車が好きな東京在住フリーライター&エディター。最近は地下アイドルグループDORCAのプロデューサー業もやってます。
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