大物ミュージシャンとのコラボで鍛えられたB-univ時代、そして“ほぼS.S.T.BAND”復活へ──並木晃一×安藤武博 対談【サウンドコンポーザーに訊く!/連載第7回・後編】
F1ドライバーのテーマ曲を担当するところまで登り詰めたS.S.T.BAND。しかし、その後突然の解散から、光吉猛修氏と2人でB-univの結成へと目まぐるしく変化していく。元セガでS.S.T.BAND~Blind Spotのリーダーを務めている並木晃一とゲームDJが対談! 後編の今回はB-univの結成、そして大物ミュージシャンとのコラボ話、バンドマン同士の熱いバンド談義をお届けします!
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並木晃一(写真左)
1987年にセガ・エンタープライゼス(現:セガ・インタラクティブ)に入社し、『スーパーハングオン』、『ギャラクシーフォース』、『サンダーブレード』などのBGMを作曲する。1988年に結成されたセガのオフィシャルバンドS.S.T.BANDにMickey名義でギタリストとして参加。1995年にセガ退社以降は、フリーランスの作曲家として活動。2011年にはS.S.T.BANDをBlind Spotとして再結成させ、以降も継続して活動している。


前編はコチラ→『スーパーハングオン』で作曲家デビューし「S.S.T.BAND」の結成へ

■光吉猛修氏を面接──その場で上司に「採用しましょう!」と即断

安藤武博(以下、安藤):前回は『スーパーモナコGP』の話で締めくくりましたけど、そのあとのことって覚えていらっしゃいますか?

並木晃一さん(以下、並木):『スーパーモナコGP』以降になるとガッツリとS.S.T.BANDの活動をしていた記憶がありますね。S.S.T.BANDが解散した後もB-univっていうユニットを組んで活動をしていましたし。B-univは光吉猛修と二人組のユニットだったんですけど、光吉は当時、セガ社内でもスターコンポーザーだったので、ユニットの実作業としてはかなりの割合で僕が担当していました。アレンジする曲は光吉の曲が多かったんですが、光吉は社内作業が多くて、スタジオ作業は僕の役目といった感じでした。

安藤:光吉さんはスターコンポーザーだったんですね。シシララTVでも『バーニングレンジャー』の「Burning Hearts ~炎のANGEL~」をみんなで歌っている時期がありました。ちなみにフライハイワークス(※1)というゲームのパブリッシャー会社の社名の由来が、「Burning Hearts ~炎のANGEL~」の歌詞に出てくる「FLY HIGH」という単語にインスパイアされているんですよ。

(※1)フライハイワークス……日本のゲームパブリッシャー。『フェアルーン』シリーズや『魔神少女』シリーズ、『魔女と勇者』シリーズなど、たくさんのダウンロードタイトルを配信している。

並木:そうなんですか。彼はもともとHiroさんの後任キーボードとしてS.S.T.BANDに加入したんですけど、彼の入社時の面接を僕が担当しているんです。忘れられないのが、「セガに入ってどういう仕事がしたいですか?」って質問をしたら、「S.S.T.BANDに入りたいです!」と。それで当時の僕の上司に「こいつ面白いから採用しちゃいましょう!」って進言して(笑)。だってキーボーディストが2人いるにもかかわらず、面と向かって「S.S.T.BANDに入りたいです!」って面接で言う根性の持ち主ですよ。「よし気に入った!」と。

安藤:ちなみに、その時に光吉さんの超絶歌唱力についてはご存じだったんですか?

並木:いえ、まったく知らなかったですね。

安藤:では、なぜ歌がうまいことが判明したんでしょうか?

並木:当時セガからリリースされた『それいけ!!ココロジー』ってアーケードゲームがあるんですけど、そこで光吉が試しに歌ってみたところ、「光吉、歌めちゃくちゃ上手じゃん!」となりまして。

安藤:開発現場でよくある「とりあえず誰か歌える人いる?」みたいなところから、あの歌唱力が発掘されたと?

並木:そのとおりです(笑)。S.S.T.BAND後期に出演した“ゲームミュージックフェスティバル”で光吉がトトロの着ぐるみを着てマイク持って「それいけ!!ココロジー」の曲を歌っていたのを覚えているなぁ。

安藤:それは悪ノリってことですか(笑)。
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並木:そう、完全に悪ノリ(笑)。ドラムのSplashくまちゃんこと熊丸久徳も猿の着ぐるみ着てドラムたたいたりして、当時はみんな悪ノリしてましたね。

安藤:では、S.S.T.BANDが解散したあとB-univから結成されるまでの流れも、わりとなめらかな感じだったのでしょうか?

並木:なめらかでしたね~。

安藤:セガってやっぱりユニークな会社ですよね。S.S.T.BANDが終わったら新しいユニットを作ろうぜっていう軽い感じだったのか、または現場の並木さんやミュージシャンたちのエネルギーがすごかったのか。気になるところです。

並木:現場のエネルギーがあったというのもそうなんですけど、当時のポニーキャニオンは国内シェアのみでやっている会社だったことも大きいですね。セガが世界的な戦略を考えていくうえで、レコードレーベルを東芝EMIに移行していく流れがありまして。それに乗っかって新ユニットに移行したという意味合いも大きいです。

安藤:納得です。それで、一旦S.S.T.BANDは解散という形になったわけですね。

並木:解散発表も事前に発表して解散ライブをやったわけじゃなくて、ライブの会場でサプライズで「今日で解散します」と発表して。だからお客さんからは「え~っ!」っていう驚きの声が上がりました。当然ですよね(苦笑)。

■B-univで組んだ外部ミュージシャンの中で特に印象に残っている2人

安藤:B-univでは光吉さんとのユニットスタイルを取られました。あとのメンバーは外部ミュージシャンの方と組むという形になっていましたが、このユニット構成にした理由をお聞きしたいです。

並木:音楽的な幅を広げていきたかったんですよ。それで今までの固定メンバーという形式からメンバーは2人だけにして、サポートミュージシャンを毎回入れていくスタイルにしました。おかげでかなり鍛えられましたね。

安藤:B-univはとんでもないミュージシャンの方々と組まれていますもんね。楽器の演奏でいうと、上から順番に上手い人たちと組んでるっていう印象があります。

並木:本当にね。すごいお金もかけていましたしね(笑)。
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安藤:当然、並木さんもギタープレイヤーとして素晴らしいんですけど、その並木さんがB-univで超・超一流の方々と組んだ時のエピソードを聞かせていただきたいです。

並木:どなたも一線級なんですが、僕がとくに印象に残っているプレイヤーは2人います。1人目はドラムの村上“ポンタ”秀一さん(※2)。ポンタさんの場合、まずローディが2人来るんですよね。

(※2)村上“ポンタ”秀一……スタジオミュージシャンのほか、様々なアーティストのバックバンドやセッショバンドとして活動するドラマー。

安藤:わたしもバンド活動をしていますが「ポンタさんは怖い!」ってイメージがあります。常に緊張感があるイメージです。

並木:そう思いますよね(笑)。まずローディが入ってきてドラムをセッティングするじゃないですか。そのとき、ポンタさんはソファーの後ろに座り、譜面を見ながら葉巻を吸ってプレイバックを聴いているんです。

安藤:ポンタさん、葉巻を吸っていたんですか?

並木:ニコルの赤いシャツとか着て、ダンディな方なんですよね。で、ローディがドラムのセッティング終わると、最後にエビスビールの350ml缶をプシュッと開けて、横にセッティングするの。

安藤:そこまでがルーティンとして決まっているんでしょうね。

並木:そうだと思います。で、ビールを飲みながらドラムプレイが始まるんですけど、ポンタさんがコントロールルームにいる時間は、もうプロデューサーもディレクターも関係ないんです。ポンタさんが中心で仕事を進めていくんです。「ん~、じゃあ、今日は最後のほうから録ろうかな」って感じで。その時はベースがポール・ジャクソン(※3)だったんですけど、彼にも英語で話してディレクションするんです。それがまたカッコいい。

(※3)ポール・ジャクソン……アメリカ出身のベ-シスト。ザ・ヘッドハンターズのメンバーとしても活動している。

安藤:並木さんとしても、ファン目線が入り混じった形でポンタさんをご覧になられていたのでは?

並木:そうかもしれないですね。ちなみにポンタさんってすごい怖い人ってイメージがあるじゃないですか。でも実際は全然そうじゃないんですよ。

安藤:気さくな方なんですか?
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並木:気さくだし、とても気を遣ってくれるんですよ。S.S.T.BAND時代、リハをしていたときにポンタさんが参加していた角松敏生さんのバンドが同じフロアのスタジオでリハをしていたんですね。それで、ドラムの熊丸がポンタさんと面識があったこともあって、S.S.T.BANDのリハスタのガラスドアの向こうに、ポンタさんがニュッて立っているわけですよ。

僕らはそれに気がついて「うわああ~!」ってなっちゃって(笑)。普通、そこでポンタさんが中に入ってきちゃったら、こっちが恐縮しちゃってたいへんじゃないですか。ポンタさんもそれをわかってるんでしょうね。わざと入らないで、全員が気が付いたのを見てから、ニコって笑って去っていくっていう。

安藤:それがポンタさんならではの気遣いなんですね。

並木:あと、B-univ時代にポンタさんとのレコーディングがあるとき、熊丸がスタジオに電話してきたことがありまして。まだケータイ電話は普及してない時代だったから、スタジオの電話にかけてきて「ポンタさんにウチの並木がお世話になります、とひとこと言いたい」と。それでポンタさんに話をしたら「熊ぁ? 誰だそいつは!」って言うんですよ。そうするとスタジオが「え、熊ちゃんって本当は知り合いじゃないの?」って空気になりますよね。

でもそのあと、ポンタさんも電話で話したら誰だかわかったみたいで。そのスタジオはコントロールルームの後ろに電話ボックスがあったんですが、わざわざポンタさんは扉を開けて外へ受話器を持ってきて「なんだお前か~!」って大きい声で話すんです。みんながかもし出した「本当に知り合いなの?」って空気を読んで、そういうことをしてくれるんですよ。

安藤:バランスと気遣いの人なんですね。

並木:ポンタさんのファンは、当然ながら出来上がったものしか聴いていないじゃないですか。でも、そこに至るプロセスを見ている人間は、見方や聴き方が違ってくるんです。ポンタさんはボーカル曲だったら歌詞まで全部目をとおしますから。

安藤:空気感からコントロールするというか、トータルで収めていく感じなんですね。

並木:そうです。僕がセガを退社してフリーになってからも、一度お仕事をご一緒してるんですけど、その時のメンバーはベースが鳴瀬喜博さん(※4)、ギターが是方博邦さん(※5)、パーカッションが斎藤ノヴさん(※6)という。

(※4)鳴瀬喜博……ベーシスト。1990年にカシオペアに加入している。

(※5)是方博邦……ギタリスト。ソロ活動も行っており、多くのアルバムをリリースしている。

(※6)斎藤ノヴ……パーカッショニスト。ソロ活動のほか、多くのミュージシャンとのセッションやレコーディングに参加している。

安藤:とんでもないメンバーですね。

並木:はい。そのメンバーでレコーディングしたんですけども、最初にドラムから録って最後がギターなんですけど、最後の是方さんがギターを弾き終わるまでポンタさんはずっと後ろにいて聴いているんですよ。「完成形を聴かないと帰れない」からだそうで……。そして、聴きながら是方さんにトークマイクで「おい、お前が終わんねえと俺帰れないんだからよお!」と茶々を入れる(苦笑)。

安藤:そんななかで、並木さんや光吉さんもレコーディングに入ってくわけですよね。

並木:ええ。光吉はどっちかというと、現場に来てサラッと弾いて歌って「お疲れさまでしたー!」って感じですけどね(笑)。
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安藤:そうそうたるメンバーがいるなかでスタジオに閉じ込められていると、プレッシャーもすごかったんでしょうね(笑)。

並木:もちろん。僕、印象に残ってるプレイヤーが2人いるって言ったじゃないですか。もう1人のすごかったのがホッピー神山さん(※7)です。なんて言ったらいいのか、僕の今までの音楽の概念が根底から覆った瞬間だったんですよ。

(※7)ホッピー神山……1983年にバンド、PINKでメジャーデビューしたキーボーディスト。解散後は作曲、アレンジャー、音楽プロデューサーなどの活動をしている。

安藤:具体的にはどういうことが?

並木:ホッピーさんとは西東京にあるスタジオでレコーディングしていたんですけど、全曲一発録りだったんです。1つのブースに楽器隊が全員入って、全員の音がギターアンプから出るという。

安藤:全部の音をギターアンプから出すんですか!?

並木:そうなんです。トロンボーンもマーシャルアンプから出るという。

安藤:トロンボーンの音がすごく歪みそうですが、それはわざとというか、そういう味付けということですかね。たまにベーシストでもギター用のマーシャルアンプを使う方がいますが……。「音の味わいとして全部マーシャルをとおしたい」ってことなんでしょうね。

並木:そうだと思います。あと驚いたのは、現場に行くまで譜面がないんです。だからどんなアレンジなのかすらわからないし、「どうするのかな。スタジオに行けば譜面はあるのかな」と思って、いざスタジオに行ったらビックリ。イラストしかないんですよ。

安藤:イラスト?

並木:ホッピーさんが描いたイラストとコメントの紙だけがあるんです。「ここで並木氏がテーマを全速力で弾く」とか「ここでテーマを歌う」とか書いてあるの(笑)。

安藤:無茶苦茶ですね(笑)。でも、それがホッピー神山流なわけなんですか(笑)。それはホッピーさんが譜面を書けないからなんでしょうか?
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並木:それが、別の曲のにかんしてはちゃんとした譜面が用意されていたりするんですよ。

安藤:おもしろい(笑)。譜面を用意しない曲は、プレイヤーのイマジネーションに任せるってことですね。

並木:そういうことです。しかもね、1テイクしか録らせてもらえないんですよ。1曲だけテイク2を録ったこともありますが、それには理由があって、ホッピーさんがドラムループを出している鍵盤をガムテープで押さえていたのが剥がれて、ループが止まっちゃったから(笑)。

安藤:物理的にどうしようもないとき以外は一発録りってことですか。みなさんは楽器の演奏ミスをされない方々だと思うんですけど、それでも1テイクのみというのは、かなりの緊張感ですね。

並木:本当にそうですよ。僕はそんな厳しい現場にいたことなかったですし、超甘やかされた現場にいましたからね(苦笑)。

安藤:今は「あとから音を重ねられるし、直せるからいいや」って録り方をしますけど、完全にそれと真逆ですね。

並木:今のDAW環境(※8)って無制限でできるし、巻き戻しも一瞬でできますよね。でも昔って、たとえばテープを巻き戻している時間なんかが、手を休める時間になってたんですよ。でも、今はそれがないから演奏に集中していると指が疲れていって、どんどんテイクが悪くなってしまう。そんな側面はありますね。

(※8)DAW……Digital Audio Workstationの略。コンピュータでの総合的な楽曲制作環境のことを指す。

安藤:そういう側面はありますね。しかし、ホッピーさんの試みはおもしろい。一発目のみずみずしさとか、テンション感を重要視されているんでしょうね。

並木:そうだと思います。ホッピーさんとは今でもSNSで交流させていただいていて、とても光栄なことですよ。ちなみにS.S.T.BANDの時代までさかのぼると、野呂一生さん(※9)が僕の中で唯一無二のギタリストです。ギタリストだけじゃなくてコンポーザー、アレンジャーとしても、僕が日本で一番尊敬しているのが野呂一生さん。それは外せないですね。

(※9)野呂一生……カシオペアのギタリストでオリジナルメンバー。S.S.T.BANDのアルバムをプロデュースしていた。

安藤:出てくる名前が全員すごいですね(笑)。全員が「ドラムマガジン」や「キーボードマガジン」、「ベースマガジン」や「ギターマガジン」の表紙を飾るメンツ(笑)。

並木:ほんとにね。僕、カシオペアのメンバーとはご縁が深いんですけど、いまだに神保彰さん(※10)だけはお会いできていないんですよ。櫻井哲夫さん(※11)とは一緒に仕事をしましたし、向谷実さん(※12)はスタジオジャイブでレコーディングしてたときに「今日、野呂くんがレコーディングしてるって聞いたんで~」と言いながら、酔っぱらって遊びに来たことがあったし(笑)。

(※10)神保彰……カシオペアのサポートドラマー。1980年から1989年までは正式メンバーとして在籍し、1997年からはサポートメンバーとして復帰している。
(※11)櫻井哲夫……カシオペアの初代ベーシスト。現在はソロ活動を行っている。

(※12)向谷実……カシオペアの初代キーボーディスト。シミュレーションゲーム『Train Simulator』の制作者でもある。
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安藤:並木さんが学生時代にカシオペアのカバーをやっていたら、結局ご本人と一緒にやるって流れになったわけですよね。奇跡的なことだと思います。ゲームの世界に入られたからこそ実現した側面はありそうですね。

並木:そうですね。そういう体験をさせてもらったら、そのあとはもう自分でがんばってバンドデビューしようなんて思わなくなっちゃうわけですよ。でも楽しかったです。セガを退社してフリーになってからは、そういう部分がなくなっちゃったし、とにかく馬車馬のように働くしかなくなって、いろいろなことを見失っていった気がします……。

■「このままでいたら俺は死んでしまうかもしれない」──そう思って“ほぼS.S.T.BAND”を再結成

安藤:B-univの活動が一区切りついた1995~96年くらいにセガを退社されて、フリーになられたんですよね?

並木:ええ。フリーになったあとはコナミさんとお仕事する機会が多くなったのかな。

安藤:『ポリスノーツ』もそうですし、『ギターフリークス』シリーズにも参加されたりしていますよね。

並木:コナミ所属のアーティストの楽曲アレンジとか、ギタープレイでいろいろ参加させていただきました。金月真美さんとか、国府田マリ子さんとか、あとは長沢ゆりかさんの楽曲にも参加しました。長沢さんとは今でもかなりの頻度で遊んでもらっていますね。

安藤:当時のコナミが思い出されるようなメンバーですね。そうしてフリーで相当な数のアレンジや演奏をこなされながら、2011年にはS.S.T.BAND をBlind Spotに改名して再結成にすることにつながっていく、と。

並木:Blind Spotの結成は2011年に起きた東日本大震災がきっかけなんです。でも、僕が東北の被災地の方に元気を与えようなんていう高尚な考えで始めたわけではないんですよね。当時、被災地の映像をTVで見ていたときに、僕はもう立ち直れなくなっちゃうんじゃないかって思ったんです。自分が楽しいことをやらないと死んでしまうんじゃないかなと思って。

でも、当時はそれをやる気力はまったくなかった。だからもう、「言ってしまえばやらざるを得なくなる」だろうと自分を追い込む形で「S.S.T.BANDをもう一度やる」ってブログに書いてしまったんです。

安藤:自らを追い込む必要があったんですね。

並木:そうです。でも、そのブログを書いたときには、メンバーの誰にも相談してないんですよ。もう本当にポロッと書いたそのブログが、気が付いたら世界中に拡散されていて。ブラジルのほうまで翻訳されて情報が広まっていて「これは絶対にあとに引けないわ」って(笑)。

安藤:ブラジルにまで……すごいですね。メンバーは承諾してくれたんですか?
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並木:はい。誰一人反対するメンバーはいませんでしたね。

安藤:いい話。やっぱりみんなS.S.T.BANDをやりたかったのかな。

並木:みんなやりたかったんでしょうよね。もちろん、活動ペースの意見については分かれましたよ。1回だけやってみようって人もいれば、継続して頻繁にやっていこうって人もいました。

安藤:各々の立場が変わっているわけで、そこは意見が分かれるでしょうね。

並木:解散から20年弱が経って、メンバーもそれなりにスキルを積んだし、生活環境も変わってそれぞれの立場もある。だから「辞めたい時はいつでも辞めていい。僕だけは最後まで責任持つから」って話をしました。ちなみにキーボードは最初、光吉にお願いしようと思って進めていたんですが、今考えるとかなり無茶な話ですよね。光吉はセガの社員として活動しているのに、そこに外部の人間が公式でもないのに「一緒にS.S.T.BANDやろうよ」って言ってきたわけですから(苦笑)。

安藤:光吉さんとしても、ものすごく悩んだうえで断られたのではないでしょうか。

並木:今なら光吉が加入しなかったことが正解だったとわかりますけどね。光吉の代わりは、僕がフリーになってからずっと傍らにいてくれた森藤晶司に、Rallyというコードネームを付けてサポートキーボードとして加入してもらいました。

安藤:そういう経緯があったんですね。

並木:森藤は性格があまのじゃくでね。僕と知り合った時にすでに、自分のことを「S.S.T.BANDのMickeyさんだ……!」ってわかっていたのに、ずっとそのことを言わずにいたんですよ。で、藤森に「実はS.S.T.BANDを再結成したいんだけど、光吉が参加できそうもない。だからトラ(※13)でキーボード弾いてくれないか?」って頼んだら、「ああ、別にいいですよ。S.S.T.BANDなら全曲弾けますし」みたいな感じで(笑)。

(※13)トラ……エキストラのこと。

安藤:誘われるのを待ち構えていたんですかね(笑)。

並木:まさに(笑)。それで、よくよく聞いたら、大学時代にS.S.T.BANDのカバーバンドをやっていたと。しかも藤森は慶応大出身で。慶応大の軽音って言ったら、プロミュージシャン輩出の登竜門みたいなサークルですよ。だから、当時もすごい高度なS.S.T.BANDのカバーバンドをやっていたらしいんです。

安藤:バカテクカバーバンドってやつですね(笑)。願ったり叶ったりというか、即戦力じゃないですか!

並木:あのときは運命ってすごいなって思いましたね。

安藤:でも、並木さんがカシオペアのメンバーに会ったように、森藤さんも並木さんと会うという運命をすごく感じてらしたんでしょうね。ちなみにS.S.T.BANDっていう名前を使用することが難しかったのはわかるんですが、Blind Spotに改名した理由というのは?

並木:最初はS.S.T.BANDでいこうとしたんですよ。当時、セガがポニーキャニオンから東芝EMIに移籍する際に、サイトロンの大野善寛さんから「S.S.T.BANDという名前はウチのだから使わないでね」ってことは聞いていました。でも、2011年に再結成する時に特許庁とかで調べたりしたら、名前自体をどこかが所有権を主張できるわけでもないことがわかって。
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安藤:そうだったんですか。

並木:なので、商標登録はされていなくて、S.S.T.BANDの原盤権だけがポニーキャニオン側で所有・管理されている状態だったと。だからそのときに、ネーミングライツに関してはどこも権利を持ってないから大丈夫だよって話を大野さんからも聞いたんですよ。でも、だからといってその名前を使い、後になってもし戦いになったりしたら、こちらになんのメリットもないじゃないですか。

戦って「S.S.T.BANDの名前を勝ち取ったぜ! うおー!」みたいな感じでもないから、こっちが大人になって名前を変えようという流れになりました。そのとき、光吉がポロッと「S.S.T.BANDで最後に出したアルバム『Blind Spot』の曲名から取るのはどうでしょう?」って言ってくれて。「お、だったらBlind Spotでいいじゃん!」ってなったんです。

安藤:それは興味深いエピソードですね。でも、Blind Spotとは別に俗称として“ほぼS.S.T.BAND”とも呼ばれていますよね?

並木:はい。“ほぼS.S.T.BAND”はセガの奥成洋輔さんが付けてくれたんです。でも、僕らはS.S.T.BANDの名前とセガの楽曲を使ってお金儲けがしたいわけじゃないんですよ。赤字が出ないレベルの活動で、当時のファンのみなさんに喜んでいただければこっちも楽しいし、お客さんも楽しい。僕らがアルバムやライブでS.S.T.BAND の楽曲を使えば、JASRAC経由でセガにも微々たるものだけどお金でお返しできるし、と。それぐらいのスタンスでやっているんです。

安藤:Blind Spotって名前で活動を再開して、当時のファンの人たちも喜ばれているのではないでしょうか。

並木:復活ライブは16SHOTSの安部理一郎さんのご配慮でブッキングしていただいて、エンターブレインさんが運営している半蔵門WinPaというハコで開催したんですね。その復活ライブを演っている時、お客さんが立ちながら泣いているのがステージから見えるんですよ……。

安藤:ファンの方たちにとっても、込み上げるものがあったんでしょうね。あの時の……デビューライブの新宿厚生年金会館のライブを観ていた方たちもたくさんおられたのでは。

並木:そうだと思います。お客さんたちの泣いている顔を見たらね、これは身体の限界までがんばるしかないなと奮い立ちました。

安藤:演るほうもグッときますよね。

並木:ええ。当時ファンだった方のなかには、今Blind Spotが活動しているのに気付いてない方もいると思うんです。お客さんにもいろいろな方がいて、たとえば当時は中学生だったからライブに行けなかったけど、今は社会人になってお金に余裕もあるから、チケットも買えるし遠征の費用があるって人もいれば、逆に当時は東京に住んでたけど今は仕事で地方に移っちゃって、なかなか観に来られなくて残念って人もいますから。

安藤:まさか今になって、S.S.T.BANDのライブが観られるとは思っていなかった方も多いでしょうしね。バンドの再結成と完全に一緒。わたしもライブ会場で泣いている年配の方ってバンドの再結成でしか見たことがないです。わたしはマイケル・シェンカーがすごく好きなんですが、1994年にUFOが再結成した時にマイケル・シェンカーが再加入したことがあって、その時は周りのおじさんはみんな泣いていました。それも20年越しの奇跡でしたから。

並木:僕もU.K.の再結成のライブをクラブチッタ川崎の前から5列目で観たんですが、あのときは泣きましたね。テリー・ボジオもその時に「再結成はこれっきりだ」って言ってたものの、ファンとしては次の来日に期待していたら、ジョン・ウェットンが亡くなってしまって……。

安藤:アラン・ホールズワース(※14)も去年亡くなりましたね……。

(※14)アラン・ホールズワース……イギリス出身のジャズ・フュージョンギタリスト。

並木:去年の4月15日ですね。なんで覚えているかというと、僕の誕生日だからなんですけど……。とても残念でした。

■もはや止まらない2人のバンド談義!

安藤:ちなみにアラン・ホールズワースが好きなのはヴァン・ヘイレン(※15)が好きだからですか?

(※15)ヴァン・ヘイレン……1978年にデビューしたアメリカ出身のハードロックバンド。

並木:そう! そうなんですよ。そこが僕のスタートなんです。ヴァン・ヘイレンのデビューが1978年で、僕は当時中2なんですよ。もうドンピシャの中2病患者。バンド組んでヴァン・ヘイレンをやりたいとか思ってたけど、デイヴィッド・リー・ロスみたいなボーカルがそこらにいるわけがないんですよね(笑)。

安藤:いないですよね。いてもダイヤモンド☆ユカイぐらい(笑)。

並木:でも、バンドをやりたいなって思ってたときに、たまたまTVで見たのがパイオニアの「ステレオ音楽館」っていう番組。そこで高中正義(※16)さんがギターを弾く指がドアップになって「あ、こういう音楽もあるんだ。これだったらボーカルいなくてもできるな」って思ったのが、フュージョンの世界への入口でした。並行してヴァン・ヘイレンとかマイケル・シェンカーも聴き続けていたし、そのときに「ギターマガジン」でエディが、「僕を振り向かせるギタリストはたった1人、アラン・ホールズワースだ!」って言ってて。

(※16)高中正義……フュージョンギタリストとしてソロ活動をしているアーティスト兼音楽プロデューサー。

安藤:好きなミュージシャンが雑誌でそういう発言しているのをきっかけに、全然違うジャンルの音楽を聴き始めたりすること、ありますよね。
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並木:ちょうどそのころ、スナックの厨房でバイトをしていたんですけど、そのスナックの従業員たちがプログレ好きばかりで。お客さんもプログレ好き、マスターもマスターの友だちも、みんなプログレが大好き。マスターの彼女も、お客さんの彼女も、そろってプログレ好きなんですよ。だから、みんな酔っぱらうと僕をプログレ好きに調教しようとしてきて(笑)。

安藤:プログレ厨房状態(笑)。並木さんが作られたゲーム音楽は、確実にプログレ要素が入っていますし、ヴァン・ヘイレンのような「これってシンセじゃなくてギターなの?」っていうなめらかなフレーズも出てきますもんね。

並木:僕のなかで、ギタープレイはアラン・ホールズワースがナンバーワンですね。彼みたいなプレイはとてもできません。

安藤:そういえば、並木さんが曲を作られた『ギャラクシーフォース』の筐体をマイケル・ジャクソンが持っていましたよね。

並木:それで思い出した! 僕ね、当時マイケルに会ったことがあるんですよ!

安藤:「大のセガフリーク」だったキング・オブ・ポップと会ったことがあるんですね?

並木:セガで『マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー』を出すタイミングで来日されたときにお会いしまして。でも、当時のセガってそれほど世間に認知されている会社ではなくて。マイケルが片田舎にあるセガっていう小さい会社に入っていくわけじゃないですか。追っかけがそこに付いていこうとするんですけど、警備員に止められますよね。そこで警備員に対して「ねえおじさん! この会社何を作っている会社なの?」とか「なんでマイケルがここに来たの?」と聞かれているわけですよ。そこで警備員さんが「ここはね、流し台を作っている会社なんだよ」と(笑)。

安藤:警備員さんが嘘をついたんですね(笑)。

並木:ジョークなのか、ガチで適当なことを言ったのかはわかりませんけど、それがおもしろくて(笑)。そんな悶着がありながら、マイケルがサウンドの部屋にいらっしゃったんですけど、第一印象は「小さいなー!」でした。

安藤:自分のオフィスにマイケル・ジャクソンが来るなんてありえないし、すごい体験をされていますよね。しかもご自身が作られたゲームをマイケルが楽しんでプレイしているわけで。

並木:そうですね。『ムーンウォーカー』の曲を担当したのは、当時サウンドのチーフだった中林さんって方なんですけど、中林さんはマイケルのスタジオにも呼ばれていましたからね。うらやましかったです。

■Blind Spotは今後も年1ペースでアルバムリリースやライブツアーをやっていきたい

安藤:これから並木さんがゲーム音楽やBlind Spotででやっていきたいこと、企んでおられることをお聞きしたいです。

並木:そうですね、Blind Spotとしては年1枚くらいのペースでアルバムを作っていきたいと思っています。あと、それに合わせて年1回はツアーもやりたいし、それとは別に都内でもライブをやっていきたいです。身体が動く限り、バンド活動を続けていきたいなと。

安藤:Blind Spotの活動は、過去の名曲たちを今の時代によみがえらせたり、新しいアレンジやオリジナルの新曲を作っていく感じでしょうか。

並木:そうですね。大きな野望みたいものはないんです。お客さんが楽しんでくれて、俺らも楽しめればそれでいい。作り手が楽しまないとお客さんには伝わらないし、音楽って楽しいんだぜ、みんなで楽しもうよってことをアピールしていきたいです。

安藤:それは何もゲーム音楽にはこだわらない感じでしょうか? それとも軸足はきっちりゲームに置きながらってことですか?

並木:軸足としてはゲームの音楽作りもしていくとは思うんですけど、S.S.T.BAND結成当時から僕の思ってたこととして、ゲーム音楽とほかの音楽を区別して聴く理由はないと思っています。たまたま出どころがゲームなだけであって、別にゲーム音楽がほかの音楽と比べて優れているわけでも、劣っているわけでもないですよね。だからBlind Spotがゲーム音楽を一般的な音楽に近いアレンジをすることによって、僕らのことにも興味を持ってもらいたい。

僕らが影響を受けたヴァン・ヘイレンやアラン・ホールズワース、80年代のAORやフュージョン、クロスオーバー、プログレなどの音楽に興味を持ってもらえたら、みんなの気持ちが豊かになるじゃないですか。あのころってみんな音楽でドキドキして楽しんでいたけど、今は娯楽が増えたせいもあって、音楽の存在は霞みがちになってしまった。それがちょっと寂しいんですよね。だからそういう部分を楽しんでもらえたらいいなというのが、僕の最終的な野望ですね。

安藤:並木さんはやはり生粋のバンドマンですよね。今日はゲーム音楽談義どころかバンド談義にまで広がって、とても楽しかったです。ありがとうございました!
CHECK!
■Blind Spotのニューアルバム『Blind Spot Ⅱ』が好評発売中!

Blind Spotとして再結成後、サントラへのアレンジ曲収録などはあったものの、全編Blind Spotのアレンジ曲のみで構成された初のアルバム『Blind Spot Ⅱ』が発売中。インタビュー中の話にも出た小林楓嬢が歌う『スーパーモナコGP』のボーカル曲「大鳥居の夜」のほか、『ファンタシースター 千年紀の終わりに』や『アフターバーナー』のアレンジ曲も収録。更に4曲のBlind Spotオリジナル曲も収録しているなど、1995年リリースのS.S.T.BANDラストアルバム『Blind Spot』の続編的アルバムという側面も持っている。
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■ライブ“第2回Blind Spot祭り”が10月6日に開催決定!

今年30周年ツアーを終えたBlind Spotの次のライブが決定! 場所は汐留Blue Moodで19時よりスタート。チケットはすでに発売中で、前売り価格4000円となっている。今回のライブは2015年に開催されて好評を得た“Blind Spot祭り”に続く企画ライブで、前回同様に多数のネタが用意されているとのこと。目玉企画としてプロアマ問わず、メンバーとのセッション企画も開催予定とか? 参加希望の方は楽曲(S.S.T.BAND&Blind Spot楽曲のみ)をご指定の上、ツイッター @BlindSpot_INFO までDMを送ろう!

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テキスト:風のイオナ(FLOOR25) ゲームと音楽と旅と自転車が好きな東京在住フリーライター&エディター。最近は地下アイドルグループDORCAのプロデューサー業もやってます。
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