アークシステムワークス×フライハイワークス キーマン対談:前編 ダウンロードゲームの先駆者たちが語りあうゲームの過去と未来
コンシューマのテレビゲームファン同士で会話すると、こんな言葉を耳にすることがないだろうか。
「今、そのハードはほとんど起動していない……」

どんなゲームハードも、基本的には対応しているソフトを遊ぶためにあるわけだが、人気タイトルが発売されるタイミングによってハードの起動率が変わるユーザーがほとんど。ビッグタイトルが出たときには熱中。しかしそれがひと段落すると、ハードごと休眠状態になり、また新たなビッグタイトルを待つ……そんな遊び方をしているユーザーも少なくないはずだ。

だが、そんな状況に今、小さな革命が起こっている。価格が手頃で気軽にプレイできる「ダウンロードゲーム」が続々と発表され、ユーザーの支持を集めているのだ。知識と経験にあふれたコアユーザーはもちろん、子どもたちやライトユーザーに対してもダウンロードゲームの認知度は上がってきており、よく遊ばれるようになってきた。とくにNintendo Switchでは「Indie World」という企画ページもスタートするなど、よりダウンロードゲームに注力する姿勢が強まりつつある。各コンシューマーハードにおいて、ダウンロードゲームが担う役割は大きく変わってきているのだ。

そんな情勢下のなか、今回はダウンロードゲームの開拓者たる2つのメーカーからキーマンを招いての対談企画が実現した。任天堂ハードにおけるダウンロードゲームの先駆者ともいうべきアークシステムワークスと、いま飛ぶ鳥を落とす勢いでヒット作を連発している新進気鋭のフライハイワークス。重鎮メーカーと新人メーカーとの間には、じつはライバル関係以上の深くて密な関係があった。
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島田聡さん(写真右)
アークシステムワークス所属。入社から数々のダウンロードソフトの開発に携わり、ディレクターも兼任しつつ、現在は『キューブクリエイター』シリーズや『サバクのネズミ団!改。』などの人気タイトルをはじめとする、ダウンロードゲームのプロジェクト全般を管理するプロデューサーとして活躍中。


黄 政凱さん(写真左)
フライハイワークス代表取締役社長。幼いころからのゲーム好きが高じて台湾から日本に帰化し、ゲーム開発に携わる。アークシステムワークスに在籍後、2011年にフライハイワークスを立ち上げて独立。現在はローカライズとパブリッシングの両方を手がけるメーカーの代表として世界中を飛び回る。ちなみにゲームの腕前はプロ級で、定期的な実況生放送でも活躍中。



■フライハイワークスの黄社長にはアークシステムワークスの血が流れている

──ユーザー目線で見ると、ダウンロードゲームの界隈のライバル同士というイメージがあるアークシステムワークスとフライハイワークスなんですが、元々黄さんはアークシステムワークスの社員であり、島田さんと同じ部署で働く「仲間」だったと聞きました。

島田聡さん(以下、島田):僕はほかのゲーム開発会社や、インフラの会社を経て、中途入社でアークシステムワークスに入りました。それがちょうど2009年くらいのことで、ニンテンドーDSで「DSiウェア」が始まったくらいのタイミング。気がついたらニンテンドーDSやWii向けのダウンロードゲームを作る部署に配置されていて、そこではすでに黄さんがダウンロードゲームのプロジェクトを切り盛りしていました。なので、社歴的には黄さんのほうが先輩で、業界的には僕のほうが先輩という関係になります。

──そもそも、フライハイワークスの社長である黄さんが、アークシステムワークスに所属されていたことに、驚きつつも納得しているゲームファンも少なくないようです。社名に共通する単語も入っていることもありますが、何より「系統」が似ているというか。

黄 政凱さん(以下、黄):フライハイワークスの「ワークス」という単語に関して、アークシステムワークスさんの社名からちょうだいしていることは以前コラムで書かせてもらったとおりです。それくらい、アークシステムワークスさんで学ばせてもらったものは多かったもので。

──アークシステムワークスは日本のゲーム業界において、ダウンロードゲームの開拓者であり先駆者だと思っているのですが、その礎に黄さんが大きく関わられたということなのでしょうか?

黄:ダウンロードゲームの部署立ち上げから所属していましたので、そういう意味では礎に関わったといっても差し支えないかもしれませんね……大仰な言い方で恐縮ですが。といっても、立ち上げ当時は部署として独立していたというよりは、会社の片隅で数人がそれぞれに小規模タイトルに取り組んでいたようなレベルでしたけど(笑)。

開発タイトルが増えていくにつれて、「そろそろ部署としてチーム化したほうが効率的だろう」という話になりました。まとめ役が必要となり、より意欲的に進められる人をリーダーにしたいということで、僕がそのポジションに抜擢されることになりました。ちょうどそのタイミングで、新しくやってきたのが島田さんだったんですよ。

──今でこそダウンロードゲームを精力的にリリースしているアークシステムワークスですが、一方で『GUILTY GEAR(ギルティギア)』や『BLAZBLUE(ブレイブルー)』といった格闘ゲームが得意なメーカーというイメージも強くあります。当時はまだコンシューマ向けのダウンロードゲームなんてすごく小さな市場だったと思うのですが、アークシステムワークスがそこに積極的だった理由はなんなのでしょうか?

黄:「アークシステムワークス=格ゲー」というイメージはたしかにあるかもしれませんが、社長である木戸岡さん(アークシステムワークス代表取締役社長の木戸岡稔氏)は、格ゲー以外のゲームジャンルにも積極的な方だと思います。ビジネス的にも一極集中型ではなく、多面張りするタイプの社長で、新しいハードが出ればそこで必ずチャレンジしたい、やってみようと言い出す。可能性がわずかでもあれば、失敗を恐れずに手を伸ばしてみようという……そういう感じの方だと思いますね。
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島田:アークシステムワークスの企業理念って「Action」、「Revolution」、「Challenge」であり、この3つの英単語の頭文字を並べての「ARC」なんですよ。昔も今もとにかく挑戦して、動いて、革命を起こせというのが社長の方針であり、会社の理念なんです。

黄:まだインターネットも今ほど回線が太くなくて、小規模ゲームやダウンロードゲームの概念が浸透してなかった時代。ガラケーでフラッシュのゲームや釣りのゲームなどが流行りだしていたころに、木戸岡さんからダウンロードゲームへの挑戦を指示されました。コンシューマーだと大規模なAAA(トリプルエー)のビッグタイトルしか見向きもされないようなご時世でしたから、ほかのどのメーカーもダウンロードゲームにはさほど積極的ではなかったころです。

島田:多くのゲームメーカーがケータイゲームのほうを向き始めていた時期だったんですよね。そんななか、コンシューマでゲームをダウンロードして買って遊ぶという「Wiiウェア」というものを任天堂さんが始めるというので、ぜひ弊社もやってみようという話になりまして。今でこそ、初期スタッフに抜擢されたといえば聞こえはいいけれど、ただ新入社員をあてがってみただけっていうのが本当のところかも(笑)。

──たしかに、新入社員の実力を測るのに小規模なダウンロードゲームを任せてみるというのはうってつけかもしれませんね(笑)。

黄:そうだと思います。だって、新入社員にいきなり『ギルティギア』は任せられないでしょう(笑)。アークシステムワークスの人材育成の方針として、若い人たちに小規模のダウンロードゲームで経験を積ませて、そのあとで本格的なコンシューマタイトルを手掛けさせるという思惑はあったと思います。僕はダウンロードタイトルの『おきらくピンポンWii』でディレクションのノウハウを学ばせてもらいました。結果的にすごく勉強になりましたし、いい経験でした。
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▲写真は『おきらくピンポンWii』。
──木戸岡さんが持つ、会社としていろんな可能性をしっかり拾っておきたいという気持ちと、新人育成の方針がぴったり重なったのが、任天堂ハード向けのダウンロードゲームだったわけですね。

島田:予算も少ないし、人手も全然足りなかったけど、それでも自分でディレクションして1本のタイトルを任されるということにやり甲斐を感じましたね。そしてそれらのタイトルはまったく売れないということもなく、地味だけど堅実な結果がついてくるようになった。ダウンロードゲームの小規模感に、会社も僕たちスタッフ側もいろんな意味で手応えを感じ始めたんです。

──島田さんも黄さんも、当時の現場で直接ダウンロードゲームに携わることで、その可能性を肌で感じていたんですね。

■アークシステムワークスの社風とは?

──でも、黄さんも島田さんも最初からダウンロードゲームを手がけたいと思って業界に入ったわけではないですよね? アークシステムワークスを選んだからには、メインともいえる格闘ゲームを作りたかったのでは?

島田:格闘ゲームは大好きですが、それを作りたいからアークシステムワークスを選んだというわけではありませんでした。いつかは自分のオリジナルゲームをつくりたいという気持ちがあり、当時、環境的にアークシステムワークスがいちばん魅力的に見えた。僕が中途採用で面接受けたころには、すでに黄さんたちのチームは具体的に動いて成果を挙げはじめていたので、ダウンロードゲームなら小規模でも自由に、自分の責任でやらせてもらえる仕事も多いんじゃないかと思っていました。

黄:格闘ゲームは僕も好きですけど、島田さんと同じくそこにこだわりがあったわけではなくて、僕としては台湾から来ている身なので「採用してくださるゲーム会社さんがあればぜひ全力でがんばります!」という感じでした。そんな僕がアークシステムワークスという、若手にもチャレンジさせてくれる会社に入社できたことは、本当に運がいいことだったと思います。

誤解のないようにいっておきますけど、「言えばなんでもかんでも好き放題やらせてもらえる」ってわけではないですよ? しっかりとした道筋を考えたうえで、やる気を見せることが重要なんです(笑)。

島田:社長や上司がOKを出してくれるハードルは高い会社です。だけど、企画がしっかりと考えられていて、そのうえで情熱がきちんと伝われば、新規開発をやらせてもらえる可能性が高い会社でもあります。

黄:たしかに、「なんでもいいからとにかく動け」というふうに教えられていたと思います。

島田:まあ、おかしなところが多い会社ともいえますね(笑)。根性が7カ国語で書かれたTシャツとか作っちゃうし、でっかく「しんよこ」って書かれたTシャツも作るし(アークシステムワークスの本社は新横浜に存在。この地に強いこだわりと愛着があるとのこと)。

──そういう好奇心と実行力が、今に繋がっているのかもしれませんね。そのようにやる気が満点で、先見の明があったということ以外で、アークシステムワークスがダウンロードゲームで成功できた理由があるとすれば、どこだと思いますか?

黄:木戸岡社長の発案で『おきらく』シリーズという太い軸を作ったのはデカかったと思います。「家族みんなが主人公」であり「短時間のゲームを楽しくおきらくに遊べるシリーズ」という軸を作ったことで、家族の枠組みに当てはめていろんなタイプのライトなゲームを出せるようになった。

島田:確かに、あれは発明でしたね。

黄:テニスに大富豪、カートという小さなゲームがそれぞれ単体ではなく『おきらく』シリーズという枠で繋がって、シリーズ化されたことで開発もやりやすくなりましたからね。
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■「しょせんダウンロードゲーム」だったからこそできたこと

──ガラケーでのiモードなどが全盛で、釣りゲームなどが隆盛しはじめていた当時、コンシューマゲームはまだ「家電量販店にパッケージが並ぶゲームこそがゲームであり、それが売り切れてこそ一流のビッグタイトル」という古い概念にとらわれたままでした。

黄:いわゆるケータイゲームがものすごい勢いで普及し始めたことで、あっという間に日本のゲーム文化がテレビゲームから移り変わっていったころ。コンシューマのダウンロードゲームなんてジャンルは、ゲーム雑誌や媒体でも大きく扱われたりはしていませんでした。

──誰もまだ注目していなかった……そんななかでパッケージすらないダウンロードゲームを作るという仕事を、お2人はどんな価値観で受け止めていたのでしょう?

島田:はたから見れば地味だったとは思いますが、仕事としては新しいジャンルを開拓しているという昂揚感と、新しくておもしろいゲームを作っているという自負がありました。会社のなかでも異端のチームという扱いでしたが、与えられたリソースとバジェットで何ができるかという挑戦の日々は純粋に楽しかったですし、自分のレベルアップに繋がったと思っています。

なんでもできるわけではないけれど、「制限があるからこそおもしろいこと」ってあるじゃないですか。きつかったけど、成長も可能性もあったから、周りの目はそこまで気になりませんでしたね。

──黄さんはいかがですか?

黄:僕はもう「ダウンロードゲームには可能性しかない!」と思ってフライハイワークスを立ち上げたわけですから、当時からそれなりに自信を持ってやっていましたよ。アークシステムワークスでの経験がなかったら、ここにはたどり着けていないと思います。

──アークシステムワークスで培ったものは、今もフライハイワークスの経営に生きているんですね。

黄:弊社では「限られたリソース、手元にあるだけのピースを組み合わせて、最低限以上のクオリティを持ったタイトルをハイペースで出す」ということを心がけているんですが、これは確実にアークシステムワークス時代の鍛錬から生まれた理念です。僕は今でもアークシステムワークス所属時に培われた「制限がある開発環境」が、大きな糧になっていると言いきれます。とにかく新しいゲームを作るたびに、素材が足りなくて苦労してたんですよ。『おきらく』シリーズのテーマ曲をずっと使いまわしたり……。

島田:待って待って! 使いまわしたっていうと語弊があるっていうか、アレンジして使ったというか。確かに使いまわしてたけども!(苦笑)

黄:新しい素材が欲しくても、それを新規で製作する予算がないんですよね(苦笑)。だから『おきらくゴルフ』でボールが落ちる時の「ひゅ~」って音は僕の口笛でしたし、ボールがカップインする音もなかったから、缶詰の空き缶にボールを投げ込んで、マイクを寄せて自分で録音したりしていたんですよ。
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▲写真は『おきらくパターゴルフWii』。
島田:そうだったんだ……知らなかった。低予算だった当時ならではの苦労ですよね。お互いがお互いにどんな形で仕事していたかっていうのは、こうして振り返ると案外知らないのかもしれない。

黄:島田さんは当時から有能な方で、もうひとりのリーダーという存在感でした。2人でそれぞれにタイトルを持って、プロジェクトを進めていましたよね。

島田:「毎月1本、必ずダウンロードゲームを出せ」というのが木戸岡さんからのミッションだったから、大忙しでした。

黄:急いで開発を進めるなかで、師匠たる木戸岡さんに試遊してもらったときに「うん、おもしろくないね!」とバッサリと一刀両断され、悔しい思いをしたことをよく覚えています。それをどうにかおもしろくするために、また苦悩することになるわけですが、その思考錯誤があるからこそ、おもしろいゲームが作れるわけで。今は自分もプロデューサーとして、遊んでダメだと感じたときは「おもしろくないね」って言うようにしています。

言われると悔しくて、つらいことはわかっています。伝える僕だって勇気がいる。だけど、おもしろくないものはおもしろくないと伝えるのもパブリッシャーとして大事ですし、何よりクリエイターにとっても必要な経験ですから。そこに遠慮するのはむしろマイナスでしかないと思っています。もちろん、おもしろかったらちゃんと「ここがおもしろいよ!」と伝えることも忘れません。

島田:ちゃんとやればできる、まだまだよくなると信じているから厳しくいってくれるんですよね、社長も。それだけ黄さんが優秀だったわけで、そんな彼が退社するとなったときには、本当にたいへんだったんですよ(笑)。

黄:その節はまことに申し訳なく……(苦笑)。事前に決まってはいたものの、いざ告知されるのは本当に辞める直前だったもので。「僕、再来週辞めるんですよ」ぐらいの感じでしたからね……。

島田:黄さんは知らないかもしれないけど、引き継ぎそのほかで本当にたいへんだったんですよ。会社のなかでも、ようやくダウンロードゲームのチームが組織としてまとまってきた時代で、チームとしての取り組みが円滑になってきていたところだった。

僕は僕で、ほかのソーシャルゲームをメインでやっていたところに、「黄さんがいなくなるから次は島田くん、キミがリーダーをやってくれ」っていわれて。今やっているソーシャルゲームもほっとけないけど、ダウンロードゲームのチームも率いなくちゃいけないということで、急に二足のわらじを履くことになったんです。これがたいへんじゃないわけがない!! まぁ、今でこそ笑い話ですけどね(笑)。

■同僚からライバルへ……黄さんの仕事ぶりとは?

黄:数年ごしではじめて聞く、自分の退社時の話。これは僕が恨まれていてもおかしくないですね……(苦笑)。

島田:いやいや、恨むとかそれはない(笑)。恨んでなんかないですよ。独立して会社を立ち上げて、新しい挑戦をしようとする黄さんを応援したいと思いつつも、さすがに受け継ぐ仕事が多すぎてとにかくたいへんだったってだけです。ちょうどニンテンドー3DS版の『TRUE REMEMBRANCE』がリリースされたころだと思うんですが、あのあたりを「PCゲームでおもしろいタイトルがあるから移植しましょう」ってアークシステムワークスに引っ張ってきたのも黄さんでした。

当時から黄さんの目利きはさすがだと思っていましたから、独立の話を聞いても納得しかなかったんですよ。自分の仕事がこれほどヤバいことになるところまでは予測できていませんでしたが、裏を返せば、それだけ黄さんが優秀だったということですから。

黄:島田さんがいるから、安心してお任せして辞められるなと思ったところもあったかもしれない。島田さんは仕事に忠実で、とても日本人らしい真面目さがあって、そこがすごく強みだと思います。確実性があって、間違いのない手堅いタイトルを作れる人。だからこそ今もアークシステムワークスでダウンロードチームを率いることができている。

僕から見ると、島田さんはいわば「超バランス型」。パラメーターがバランスよく、なおかつどれも高く割り振られているイメージです。だから自分が辞めたところで大きなアクシデントもなく、コンスタントにヒット作品を出してくるだろうと思っていました。『キューブクリエイター3D』シリーズの大ヒットはとてもうれしかったですし、「さすが島田さんだ」と思いました。

島田:そこまで言ってもらえると恐縮ですね。『キューブクリエイター3D』は、おかげさまで社内でも表彰してもらえたほどのヒット作になりました。
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▲写真は『キューブクリエイター3D』。
黄:僕が在籍していたころの『おきらく』シリーズは、ゲームとしてハイクオリティだとは言い難いレベルだったかもしれません。だけど、今アークシステムワークスから出ているダウンロードゲームの品質はいずれも高い。これはひとえに、島田さんがしっかり仕事をされてるからだと思います。

島田:おかげさまで今は、ダウンロードチームも弊社のなかである程度の存在感を持って、会社に貢献できる部署に育ってきました。

──島田さんから見た黄さんの印象というのはいかがです?

島田:黄さんは台湾から日本に帰化されたわけですが、生粋の日本人にしか思えないんですよね、昔も今も。超がつくほどのゲーマーで、ゲーム大好き人間。日本語もうまくて、本人から「台湾出身です」と聞くまでそうだとわからなかったくらいでした。ひたすら真面目で勤勉で、ゲームにめちゃくちゃくわしくて、とにかくゲームを愛していた。

生まれた国の違いを感じたのは、義務とか役割に対して、わりと厳しめな働き方だったところくらいかな。プロジェクトが詰まってきて、仕事がこなせていない部下に対して叱るようなことがあったときに、全部カンペキにこなせっていうんじゃなく「あなたの仕事はここまでが担当。ほかのことはいいから、与えられたここまでをしっかりやりなさい」という詰め方をしていて、そういうところには自分とは違う「黄さんらしさ」を見ていた気がします。

黄:見られていた(笑)。僕はそういうところがありますね。問い詰めモードに入ると、ガッツリ言っちゃうタイプです。

島田:だから社長がやれているんだと思いますよ。あとはもうね、才能としか言えないくらい黄さんはゲームが好きすぎ(笑)。パズルゲームとかアクションゲームが、本当にうまいんですよ。僕もパズルゲームが好きで、とくに『テトリス』は相当なレベルだぞという自負があるんです。かなりやり込みましたし「得意だよ」という同僚と戦っても、負けたことなんて1度もなかった。ところが黄さんと『テトリス』で対戦したら、勝負の決着がつかなかったんですよ!

黄:ありましたね、そんなことも。お互いに「得意だよ」と言い張る『テトリス』で対決したら、30分経っても決着つかずという……(笑)。

島田:僕は周りで対等に渡り合える人が少なかったから、すごく印象に残ってます。今でも、いつ対決してもいいように『テトリス』だけは練習していますからね(笑)。
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■フライハイワークスを立ち上げたあと「とても気まずかった」ワケ

──黄さんがフライハイを立ち上げてから、アークシステムワークスとの関係性はどう変化しましたか? 島田さんとの関係性も含めて。

黄:島田さんや昔の仲間とプライベートで会ったりすることはなくはなかったですけど、やはり立場的には気まずさがありました。僕がフライハイワークスを立ち上げて、社長になって、ダウンロードゲームを出し合うライバル的な位置に立つことになりましたから、気軽に新横浜のアークシステムワークスへお邪魔しますというようなこともなかったです。やはり、僕は辞めた側の人間なわけですから。

島田:今の弊社スタッフだと、黄さんがアークシステムワークスにいたことを知らないメンバーも少なくありません。これを読んではじめてその事実を知る若手社員も多いんじゃないかな。

──会社対会社という意味では、ライバル意識も強いのでしょうか?

島田:僕個人としてはどうあろうとも一緒に働いていた仲間という部分が強いので、黄さんはフライハイワークスというチーム、僕はアークシステムワークスというチームで、ダウンロードゲームというフィールドを戦場にして戦っているイメージが強い。ただ単純に「ライバル」ということはないかな……もちろんライバルではあるんですけども、むしろダウンロードゲームの市場を活性化させていくという意味で、仲間は多いほうがいいと思っています。そして、フライハイワークスさんはその仲間であるとも。黄さんはどうですか?

黄:僕も仲間意識のほうが強いです。ほかの会社の方ともお話をしますけど、「まだまだみんなでがんばらなくちゃいけない業界だから」という結論になることが多い。もちろんライバル意識もなくはないですが、かといって誰かを蹴落とすとか、そんな世界じゃないですよ。島田さんのいうように、一緒にダウンロードゲームの世界をもっと広げていきたい、もっとたくさんの人に遊んでもらえるようにしたい。その一心ですね。
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──じゃあ、フライハイワークスがここまで成長した今なら、木戸岡さんにも胸を張って会いに行けるのでは?

黄:いやいや、もういろいろとおこがましすぎて、まだまだ。単純に「怒ってなきゃいいな……嫌われてなきゃいいな……」という気持ちが強すぎて(汗)。

島田:退社するときからずっと気にしてますよね、そこのところ。

黄:なかなか割り切れなくて……。木戸岡さんには辞めるときにきちんと意思表明をして「辞めさせていただきます」とご挨拶しましたが、ここまで育ててもらったのに辞めるというのは、かなり期待を裏切る行為だったと思うんです。だけど自分はイヤで会社を辞めるのではなく、本気で会社を立ち上げたいんだとお話をさせていただきました。ずっと人生相談に乗ってもらっていて、その延長上にあるものではあったんですけど、そうは言っても……うん……難しい側面はまだあるかなって。

島田:木戸岡さんの気持ちを直接聞いたわけではありませんが、あの人は「Action」「Revolution」「Challenge」する人を認めていますからね。黄さんが独立しますっていうのも、その理念の延長で、成長の末に見つけた選択肢だったわけじゃないですか。だから木戸岡さんは気にしてないだろうし、むしろうれしかったんじゃないのかなーって思うんですけどね。そろそろ胸を張って、新横浜に遊びに来てください。

(後編につづく)

後編はこちら→ローカライズへの熱いこだわりと価格設定の裏話


テキスト:サガコ(Sagako) フリーライターときどき小説家。ゲームやアニメ、テレビが好きだけど腐女子にもなりきれず夢女子にもなれず、すべてにおいてハンパな人生を謳歌中。不思議なご縁で「水曜どうでしょう」関連の書籍も手がけています。
ツイッターアカウント→サガコ@sagakobuta

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