『大乱闘スマッシュブラザーズX』への参加で人生が大きく変わった──SPICA MUSICA・景山将太×安藤武博 対談【サウンドコンポーザーに訊く!/連載第8回・前編】
2006年に光田康典氏が代表を務めるプロキオン・スタジオに所属し、ゲーム音楽コンポーザーとしての道を歩み始めた景山将太氏。後に移籍したゲームフリークでは『ポケモン』シリーズのコンポーザーとして名を上げると同時に、ゲーム開発方面にも深くかかわることで、ゲーム音楽を作りあげるためのアプローチ方法を徹底的に極めていった。現在は独立してSPICA MUSICAを立ち上げ、人気スマホゲーム『黒騎士と白の魔王』のコンポーザーとしても注目を浴びている。
前編の今回は、これまであまり語られてこなかったデビュー当時のお話を中心にお届け!
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景山将太さん(写真左)
プロキオン・スタジオ、ゲームフリークを経て現在はSPICA MUSICAの代表を務める作曲家。『ルミナスアーク』でデビューし、『大乱闘スマッシュブラザーズX』、『ポケットモンスター』シリーズ、『黒騎士と白の魔王』などのサウンドを手掛けている。
■光田さんの講演を聞きに行き、自作の曲を入れたデモ音源CDと手紙を渡した

安藤武博(以下、安藤):景山さん、本日はお越しいただきありがとうございます。じつは我々シシララTVは、景山さんがサウンドを手掛けられた『黒騎士と白の魔王』の応援記事を書いたこともあるんです。当時、グラニさんから「応援ありがとうございます」と連絡をいただき、生放送を配信したこともありました。

景山将太さん(以下、景山):そうだったんですね! ありがとうございます。

安藤:配信中、音楽の素晴らしさにも話がおよび、景山さんがオーケストラで作っているということをお聞きしました。そのときからずっと、一度お話をおうかがいできればと思っていました。今日はよろしくお願いします。

景山:こちらこそ、よろしくお願いします!

安藤:景山さんのキャリアを振り返ると、ゲームフリーク所属時代に『ポケットモンスター』シリーズというとても大きなIPを手がけられていました。今はSPICA MUSICAを立ち上げて独立し、ゴリゴリのダークファンタジータイトル『黒騎士と白の魔王』の音楽などを手掛けられている。ある意味『ポケモン』とは対極にあるジャンルのタイトルということで、音楽性が全然違いますよね。

景山:楽曲の雰囲気やテイストは、今まで僕が作ってきたものとは一味違うかもしれませんね。僕の音楽の新しい一面を感じてもらえていると思います。

安藤:景山さんの音楽の変遷についても順序立ててお聞きしたいと思います。そもそも、最初は光田康典さん率いるプロキオン・スタジオに所属されていたんですよね?

景山:元々ゲーム業界に入ったのはもっと以前でして。某大手ゲームメーカーにアルバイトで入ったのがきっかけなんです。大学を卒業したあとはレコード会社や音楽制作会社など色々なところにデモテープを送ったり、就職活動でゲームメーカーもいっぱい受けたんですが、どこにも採用されなかったものでして。

安藤:就職活動……それはコンポーザー志望ですか?

景山:コンポーザー志望ですね。募集している企業はすべて受けたんですけど、残念ながら全部ダメでした。ただ、ここで仮に別の業界に就職できたとしても、きっと僕はあきらめられずに、どこかでまたゲーム、ないし音楽業界に再チャレンジするだろうと思ったんですよ。

安藤:思いが成仏できないと感じたわけですね。

景山:はい(笑)。なのでまず期限を決めて、少なくとも25歳までは音楽で勝負したいと考えたんです。諦めずに音楽一本に絞り、その活動の傍らで全然違う業界のアルバイトを始めました。そこはコンピュータを教える小さいスクールみたいなところで、主婦とか高齢の方にインターネットへのつなぎ方とかワードやエクセルの使い方を教える仕事で。そういうバイトをしていて3カ月くらい経った時に、「今度うちで、ゲームのサウンドデバッグのアシスタントを雇おうと思ってるんだけど、興味があったら受けてみないか」って大学の先輩に誘われまして。
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安藤:「サウンドデバッグ」とは、具体的にはどういう内容なんでしょう?

景山:たとえば銃を壁に向かって撃ったら、弾が当たった音が正しいところから聴こえるか、リバーブが正しく響いているかなど、といった細かいチェックです。音のことがわからないとチェックできないようなデバッグ内容ですね。たとえば足音のデバッグの場合、靴によって足音が異なるかどうかを聴き分けたりとか。

安藤:おもしろい! たしかに、音の違いが分からなければデバッガーになれませんね。

景山:一番面白かったのは薬莢音のデバッグでしたね。銃を壁に向けて撃って、キンキンって薬莢が落ちたときの音がどこから響くかをチェックするんです。めちゃくちゃ細かいんですけど、重要な仕事でした。

安藤:それは関西在住の時代ですよね?

景山:そうですね。僕は出身が兵庫県で、大学まで関西にいたんです。もともと作曲家になりたいっていう思いがずっとあったので、アルバイトをしながらコツコツとデモテープを作って、チャンスがあったら常に送っていたんですよ。

安藤:アグレッシブですね。デモテープはゲーム会社に送っていたんですか?

景山:ゲーム会社だけでなく、作家事務所やレコード会社とか色々なところに送っていました。じつは僕、昔から『クロノ・トリガー』が大好きで、その影響で光田さんの音楽が大好きだったんです。大学時代に音楽家を目指そうって決めた頃、光田さんのホームページをよく見ていて、いつかこんな風になれたらいいなっていう感じで憧れていました。

安藤:光田さんのファンだったんですね。

景山:ええ(笑)。そうして名古屋で光田さんの講演があるって情報を知り、思い切って大阪から名古屋まで新幹線で行ってその講演に参加しました。しかもその時、せっかく会えるんだからってことで自分の作品と「こういう作家になりたい」っていう思いをしたためた手紙を光田さんに渡したりして(笑)。

安藤:手紙の内容は覚えていますか?

景山:うーん。どんなことを書いたんだっけな……。でも、勝手に運命的だなと思ってることがあるんですけど、光田さんに手紙を渡した一週間後にプロキオン・スタジオが作家を募集されたんですよ。これはチャンスだと思って、すぐに応募しました。その後も色々とやり取りをさせていただくなかで、採用していただけることになったんです。

安藤:結果的にはそのタイミングで募集があり、プロキオン・スタジオに入ることになった。たしかに運命的ですね。キャリアのスタートは『ルミナスアーク』になるのでしょうか?

景山:そうですね。『ルミナスアーク』が作曲家としての初仕事になります。メインコンポーザーは海田明里さんで、僕はどれくらい曲が書けるかに応じて担当曲数を決めるって感じだったんですけど。実際に書いたのは10曲くらいだったかと思いますね。光田さんがテーマ曲を書かれて、かつ全体のサウンドプロデュースを担当され、海田さんが20曲くらい、もう一人参加されていた三留一純さんが10曲くらい、4人で合わせて40曲ほどって感じだったように記憶しています。

安藤:1作目からRPGの楽曲制作ということになりましたけど、それは景山さんが望まれていたジャンルのお仕事だったんでしょうか。

景山:RPGの音楽を手掛けるのは、とてもうれしかったですね。僕が最初に触れたゲーム音楽は『ドラゴンクエスト』。J-POPとかも含めて、一番最初に買ったアルバムCDは『ドラゴンクエストIII』のオーケストラアルバムだったんです。だから、最初にオーケストラ音楽に触れたのは『ドラゴンクエスト』だったんですよ。

僕、4歳からピアノをやってるんですけど、親も『ドラゴンクエスト』だったら、ってコンサートに連れて行ってくれたんです。ゲームのコンサートでも、オーケストラだったら音楽の勉強になるって思ってくれたんでしょうね。
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安藤:ゲーム音楽でも、すぎやまこういち先生のコンサートだったらいいよということですか。では、『ドラゴンクエスト』のコンサートは子どものころから見られる機会が多かったんですね。

景山:多かったですね。それこそ最初は友だちにカセットテープに『ドラゴンクエストIII』のファミコン音源を録音してもらって聴いていましたからね。

安藤:子どものころからピアノやられていたり、『ドラゴンクエスト』の曲を聴いたりと、景山さんのなかでは少年時代からずっと、オーケストラが鳴り続けていた感じでしょうか。

景山:そうですね、オーケストラに対する憧れっていうのは昔からすごくありました。

安藤:この機会に景山さんの音楽をキャリアトータルで聴いてみて、ストリングスのイメージというか、空間が広がっていく音使いが特徴的だと感じました。オーケストラでも、ギターがガッと入ってくる曲でも、必ずストリングスが入ってきて多奏的なイメージを描いていく。これは、すぎやまこういちさんが初めてゲーム音楽にオーケストレーションを持ってこられたという部分に影響を受けているのかなと、お話をお聞きして思いました。

景山:確実に影響は受けていると思います。

安藤:プロキオン・スタジオに入社されたのは何歳の時ですか?

景山:確か24歳の時ですね。入社できたまではよかったのですが、当時は新人で、誰も僕のことを知らないので、実際に自分の名前で仕事のオファーが来るわけがない。なので、まずは自己紹介の意味も込めて自分の作品をしたため、各メーカーさんへの営業というか、ご挨拶回りに行こうっていうことになりまして。『ルミナスアーク』の曲を書きながら。

安藤:わたしも前に所属していたスクウェア・エニックスでプロデューサーをしているときに、作家さんからサンプル音源が定期的に届いたりしていました。そういった草の根活動をされていたわけですね。

景山:そうは言っても、どうやって会ってもらえるかも全然わからなくて。すでに飛び込み営業で会ってくれるような時代じゃなかったんですよね。そこで思いついたのが、各会社のホームページのトップに「お問い合わせ」っていうコンタクトページがあるじゃないですか。そこにメールを送っていこうと画策しました。

安藤:ありますね。でも、あそこに連絡しても返事はあまり返ってこないのではないですか?

景山:そうなんですよ。全然返信がなくて(笑)。100通くらい送って、返信があったのが10通くらい。やっぱり厳しいなっていう現実を改めて突き付けられたっていう苦い記憶としてよく覚えています。それでも若かりし僕に対して、そのなかで2社ほど会ってくれるっていう会社があったんですよ。その会社は今でも神だと思っています(笑)。

安藤:その2つの会社は先見の明がある。売れたあとに景山さんにオファーを出すのは当たり前ですけど、無名の……これから売れるかもしれない人に会うっていうのはアンテナが高い証拠。長くゲームを作っているからこそ、そう思います。プロデューサーが窓口になる例もありますから、その積極性はすばらしいですね。新人のころに会ってくれたり、支援してくれたりした人は、何年経っても忘れないものかと思います。
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景山:お話ししたとおり、僕は新卒で大きな会社に入り、サウンド担当になってトントン拍子にいったタイプではありませんから、苦労した時期に助けてくれたり応援してくれたりした方への恩は絶対に忘れられませんね。

■独立したときに、新人時代に経験した弾丸営業をまたやろうと決めていた

安藤:わたしもシシララTVという会社を立ち上げ、今も営業活動を続けています。最初はみんな、断られるのが嫌だとか、返事が戻ってこなかったらどうしようって思って、躊躇しがちなんですよね。新人とはいえ、景山さんが100社にメールを送って10社から返事があり、そこから会えたのは2社っていうのはすごく現実味があります。

「営業ってそれの繰り返しなんだ」ということは、この対談記事でシェアしたい点です。事実、当時の景山さんの地道な活動が未来へとつながったわけですから、本当に貴重な体験だったかと思います。独立されてからも、当時培ったノウハウや経験が生きているのでは?

景山:めちゃくちゃ生きていますね。SPICA MUSICAを立ち上げたとき、プロキオン・スタジオでの新人時代にやった弾丸営業をまたやったんですよ。当時の経験があったからそこに抵抗は微塵もなかったですし、やり方のノウハウも身についていましたからね。

安藤:まさに培ってきたものが結実したわけですね。とはいえ、会社を立ち上げられた2014年当時には、『ポケモン』シリーズの音楽コンポーズを担当されてきたっていう実績があるわけで、昔とはあつかいが違ったのでは?

景山:そうですね。あれから7年が経っていましたし、仕事をする中でたくさんのつながりもできていたので、色々とスムーズでした。

安藤:それでも、一切連絡手段がないときは「info@」にメールを?(笑)

景山:はい(笑)。もちろん僕も知り合いは増えてるし、業界のつながりもいっぱい作れていましたけど、そのときの僕は、これまでに会ったことのない新しい会社と仕事をしたいとも思っていたんですよ。なので、知っていようが知るまいが、最後の手段は「info@」ですね(笑)。

安藤:若かりしころは100件だったメールですが、2014年はどのくらい送ったんでしょうか。

景山:ほぼ同じ数だけ送りました。とりあえず世のなかのゲーム会社を全部調べて、エクセルにまとめて、どんな作品を作っているかっていう情報を全部リサーチしてリストを作って。

安藤:7年前は100件中10件、会えたのが2社だったわけですけど、今回はどうだったんでしょうか。

景山:すごく手ごたえありましたね。返事自体は普通に返ってくるぐらいありましたし、実際に会ってもらえた会社も20社以上はありました。

安藤:その会ってくれた会社のなかに、『黒騎士と白の魔王』を手掛けたグラニさん(※1)も入っていたわけですね?

(※1)グラニ……『黒騎士と白の魔王』や『神獄のヴァルハラゲート』などをリリースしたゲーム会社。2018年、マイネットグループ傘下の子会社である株式会社GMGにスタッフが合流。引き続き、各種ゲームの運営を手掛けている。
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景山:そうです。グラニさんからはメールがすぐに返ってきたんですが、そのときはとくに新規案件があったわけではなかったらしく、「社内に共有させていただきます」といった程度のメールでした。でも、そのあとまたもや運命的なことがありまして。僕が2015年の1月に『ポケモン』シリーズの楽曲で出演したJAGMO(※2)のコンサートに、グラニの方がたまたまお客さんとして観に来られていたんですよ。

そこで僕が登壇して話しているのを見て、「この人の名前どこかで見たことあるなあ…そうだ、資料を送ってきていた人だ!」と思い出していただけまして。翌日「昨日、コンサートを観ていました」って電話がかかってきたんです。そして、その電話で「お願いしたいタイトルがあるんです」って依頼されたのが『黒騎士と白の魔王』だったんですよね。もう本当にうれしくて、こんなドラマチックなことがあるんだなって舞い上がってしまいました。

(※2)JAGMO……JApan Game Music Orchestraの略。「ゲーム音楽を音楽史に残る文化にする」というビジョンのもと、オーケストラ公演を実施する、日本初のゲーム音楽プロ交響楽団として活動中。

安藤:こちらもまさに運命といえますね。景山さんは『MAGATAMA Earrings』といったインディーズゲームにも参加されていますが、それらのタイトルも営業がきっかけでオファーされたんですか?

景山:元からのつながりがあってのお仕事ですね。『MAGATAMA Earrings』は僕の友人が作っているインディーズゲームになります。

安藤:『CHUNITHM -チュウニズム-』にも「overcome」という曲で参加されていますよね。わたしも大好きな曲です。『CHUNITHM -チュウニズム-』へ参加されたきっかけは?

景山:『CHUNITHM -チュウニズム-』は独立したばかりの頃にもらったお仕事です。僕が独立したことをみんなが話してくれているなかで「ちょうどいろいろなコンポーザーさんを集めて作るゲームがあるから、1曲参加してもらえないか」と、元々僕とつながりのある方から依頼をいただきました。

安藤:少し話は戻りますけど、プロキオン・スタジオ時代には『大乱闘スマッシュブラザーズX』に参加されていますよね。これは景山さんのキャリアにおいて、非常にウェイトが大きいお仕事だったかと思うのですが、いかがですか?

景山:そのとおりです。ただ、元々わたしは作品に参加できる予定ではありませんでした。 光田さんが「もしアレンジの質がよかったら採用という形で構わないから、一度書かせてみてもいいですか」と先方に頼んでくださいまして。

安藤:光田さんの抜擢と推薦があってこそのノミネートだったわけですね。しかし、そこで楽曲が採用されたのは景山さんの実力ですし、大きな転機となったのでは。
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景山:まさに、僕の人生は『スマブラX』で大きく変わったと思っています。そもそも僕、人見知りとか全然なくて、異業種交流とかいろいろな人に会うのが好きなんですよ。最初は「営業」という単語に対してすごく構えてかしこまっていたんですけど。今思うと、「いろいろな人と出会うチャンスだよ」って感じで言われていたら、また意気込みも違っていたように思います。

安藤:営業に対してそのスタンスで挑むのは、とても前向きでおもしろそうです。そこからさまざまな出会いや転機が生まれるんでしょうね。

■ゲームの開発全体を見渡したい……ゲームフリークに移籍を決めた理由

安藤:景山さんは『大乱闘スマッシュブラザーズX』のお仕事を引き受けたころ、ゲームフリークへ移籍された形でしょうか? 移籍のきっかけはなんだったのでしょう?

景山:当時、mixiに「ゲーム業界のお仕事コミュニティ」があったんです。いろいろなプロデューサーさん、ディレクターさん、プログラマーさんが集まるなか、僕も参加させてもらっていて。そこで偶然出会った、いまだに仲良くさせてもらっている方との交流がきっかけですね。こうして安藤さんとお話ししながら振り返ってみると、僕の人生は節目節目で新しい出会いがあることに気付きました。

安藤:それは景山さんが、とても充実したクリエイターライフを送ってきている表れだと思います。2008年にWiiで『スマブラX』が出るわけですが、ここまでがプロキオン・スタジオのお仕事ということですかね。そして『ポケットモンスター ハートゴールド/ソウルシルバー』のときには、もうゲームフリークさんに所属されていた。

景山:プロキオン・スタジオに在籍していたのは1年間でした。

安藤:プロキオン・スタジオでの日々はものすごく濃密で充実していたんじゃないですか?

景山:ええ。めちゃめちゃ濃かったですね。音楽制作における様々な経験はもちろん、音楽家としての心構えなどたくさんのことを学びました。

安藤:ゲームフリークに移籍を決めたきっかけはなんですか?

景山:プロキオン・スタジオで1年やってみて、悔しながら、「景山将太」という自分の看板だけで仕事を取ってやっていくのは時期尚早だと感じました。またゲームの仕事に関わるようになってから、ゲーム作りそのものについてもっと深く知りたいと思うようにもなりまして。音楽だけを書いていても、ゲーム開発全体を見ることはできませんからね。

安藤:なるほど。

景山:ただ、これもすごく運命的なんですけど、mixiでの交流をきっかけにゲームフリークのことを調べたタイミングがあったのですが、そのとき、たまたまサウンドクリエイターの募集広告が出ていまして。

安藤:それをきっかけに移籍の話が進んでいくんですね。

景山:ええ。当時、ゲームフリークがサウンドの募集広告を出していた期間はたった2週間だったらしいので、これを見逃していたら今ここに僕はいないんですよね。

安藤:ものすごく希少なタイミングですね。こちらもたしかに運命的です。

景山:そうなんです。だからmixiのコミュへの参加、そこで出会ったクリエイターさんたちとの交流、たまたま僕がゲーム会社に入りたいと考えていた心境……偶然に偶然が重なってゲームフリークという会社を知り、試験を受けたら採用していただけたという……。
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安藤:わたしは、変化というものは人と人との出会いでしか起こらないと思っているんです。このとき景山さんがつかんだ流れは、まさに「出会い」がきっかけですよね。

ゲームフリークに入社して最初に手掛けられたのが、2009年の『ポケットモンスター ハートゴールド・ソウルシルバー』。これはただ単純に『ポケットモンスター 金・銀』をリメイクする……といった軽いお仕事ではなかったと思うのですが、移籍してすぐにメガIPを担当することになった時の心境はいかがでしたか? ゲームフリークに入ったからには『ポケモン』を担当するだろうという覚悟はあったかとも思いますが(笑)。

景山:当時のゲームフリークの募集広告に載っていたキャッチフレーズが、“『ポケモン』を超える新作オリジナルゲームを作るスタッフを募集します!”だったんですよ。なので、そのキャッチのもとに応募した僕としては、いきなり『ポケモン』を担当することになるとは思っていませんでした。もちろん『ポケモン』に関わることもあるだろうな、とは思っていましたけど、一番最初にオリジナルタイトルに関わるつもりで入ったんです。

安藤:ところが、最初のお仕事は『ポケモン』のリメイクだったと?

景山:……というふうに見えると思うのですが、じつはその前にオリジナルタイトルに関わっていたんです。

安藤:そうなんですか! それは知りませんでした。

景山:それも当然です。残念ながら、そのタイトルは途中で開発が終了してしまったので。そのあと『ハートゴールド・ソウルシルバー』を担当した形ですね。

安藤:空白に見える2年間にも、しっかりとサウンドの制作には携わっておられたわけですね。2010年には『ポケットモンスター ブラック・ホワイト』が発売されました。立て続けに『ポケモン』シリーズのサウンドコンポーズをされていくわけですけど、それまでの景山さんのキャリアを考えてみると前例がないことだと思います。

たとえば、ほかのタイトルに置き換えてみると『ドラゴンクエスト』はすぎやまこういちさんがずっと作曲を手掛けておられますし、『ファイナルファンタジー』といった大型タイトルも、楽曲制作をキャリアのない作家に「じゃあ次よろしく」ってお願いすることはなかなかない。

景山:たしかに、メガIPを任されるには、そのころの僕はキャリアが浅かったかもしれません。ただ、それでも僕がなんとか仕事をこなせたのは、『ポケモン』のことを知りすぎてなかったからだと考えていて。『ポケモン』がすごいタイトルだって知っていればいるほど、それはプレッシャーになって襲ってくる。あまりにもデカすぎると感じたらそれに恐縮して、自分の手に負えないなって萎縮してしまうと思うんです。

でも、『ポケモン』は社会的な影響とか人気があるソフトだということはわかっていながらも、自分が遊びながら育ってきたわけではないため、そこまで萎縮はしませんでしたね。

安藤:音楽的なアプローチで言うと、景山さんが作られた『ポケモン』の新作やリメイクに関しては、まったく『ポケモン』の雰囲気を壊してないと思います。一度分解し、きちんと景山さんの音楽性を入れ込んだうえで再構築されているな、と。今のお話を聞いたところでは、あえて「新しいことにどんどんチャレンジしよう!」って意気込みで進めておられたのではと思えました。

景山:そういう側面はあったと思います。じつは僕、『ブラック・ホワイト』で初めてサウンドのリーダーを任せてもらったんですけど、これまでサウンドを手掛けてこられた増田順一さんからは「一度『ポケモン』らしさを捨ててくれ」って言われたんです。

安藤:景山さんの『ポケモン』にしてほしい、ということですよね。

景山:「たとえば道路で曲が変わることや、街ではこういう音楽が流れるという不文律、ロジックをゼロから全部組み立て直してみてほしい」と言われました。

安藤:コンポーザーとして、とてもやりがいのある仕事ですね。

景山:そこで「どうして『ポケモン』の音楽はこういう仕組みになっているんだろう」ってことを、全部論理的に考えていきました。すると、やっぱりそこにはなんらかの意図が介在していることに気づいたんです。それを踏まえて曲を作っていけば、結果、こうデザインするのがベストなんだという答えにもたどり着けました。

じつは、『X・Y』のバトル音楽は、最初はその特徴を敢えて無視して自分らしく書いた曲もあるんです。でも、それを先ほどのロジックに当てはめて考えると、“これは『ポケモン』じゃないな”って気づけるんですよ。『ポケモン』のバトルの音楽は、増田さんが一番最初の『赤/緑』で作られたものを踏襲すべきだということを、作ってみて改めて感じたわけです。

安藤:一度バラバラにしたからこそ、気づくことができたわけですね。

景山:ええ。バラバラに壊してみたからこその気づきです。

安藤:増田さんからは、そこも攻めていいよって言われたものの、ちゃんと積み上げないと『ポケモン』にはならないことがわかった。

景山:面白くないですか? “『ポケモン』はこうじゃなきゃいけないんだ”って言われたわけでもなければ、ガラッと変えてもいいんだよとさえ言われたのに、いざ作ってみると「やっぱり『ポケモン』はこうじゃなきゃいけないんですよ。変えたらダメなんです」ってなってしまったという(笑)。
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■GB風アレンジ音源を作ることで、ゲームボーイ版『ポケモン』の音楽を分析できた

安藤:景山さんが『ポケモン』に関わっておられたとき、とくに印象に残っていることってなんですか?

景山:いくつかありますね。たとえば『ハートゴールド・ソウルシルバー』の時に、当時サウンドのリーダーだった一之瀬剛さんから、ゲーム内に登場するアイテムである「GBプレイヤー」の企画が上がったこと。一之瀬さんが「GBプレイヤーをONにした瞬間、BGMが全部ゲームボーイ風の音源になったら面白いよね!」って言われて。

僕も「それは面白いですね!」って答えたんですけど、気がついたら僕が1人で全部、ゲームボーイ風アレンジの音源を作ることになっていたんですよ。全部で104曲ぐらいあったかな?(笑)

安藤:104曲ぶん、1人でゲームボーイ風の音源版を作る!? それはすごい体験でしたね(笑)。でも、ゲーム業界を振り返ってみると、あえてローテクに回帰するというのはめずらしい気がします。古くは「セガマークIIIにFM音源パックを挿すとFM音源になります」って周辺機器なんかもありましたが……。

景山:たしかに。だからこそ、実現したら絶対にファンの方が喜ぶだろうけど、コストに見合わないかもしれない……って心配もあって。なにぶん、104曲を全部耳コピして作らないといけなかったので。

安藤:耳コピなんですか? 104曲すべてを!?

景山:そうなんですよ……。ここで分解と再構築の話に戻るんですが、このGBプレイヤーのおかげで、『ポケモン』サウンドのアナライズをやることになったわけですよね。104曲のサウンドを耳コピした結果、ゲームボーイ版の音楽を分析できたという。

安藤:その仕事自体が分解と再構築だったんですね(笑)。それがあったからこそ、『ブラック・ホワイト』での気づきにつながった。

景山:そのとおりです。PSG音源をWAVで入れて、ストリームで再生して鳴らすんだったら簡単な企画ですけど、あれは僕が耳コピして作ったサウンドを、ニンテンドーDSの本体に乗っているPSG音源チップが演奏しているんです。

安藤:気づいていない人のほうが多いでしょうけど、じつはものすごいことなんですね。では、そのときに分解して再構築した向こう側に見えた『ポケモン』の音楽って、いったいどのように感じたんですか?

景山:増田さんの音楽はスケールが特徴的だということ。そして、ベースの音の置き方やメロディの動き方が、僕の頭から出てくるフレーズじゃないタイプの音になっているってことです。音のぶつかりも、積極的に攻めていく作り方をするから、楽音的っていうより勢いとかテンションが高い曲が多くて。それを直してしまうと、曲がキレイになりすぎてしまうというのは感じましたね。

安藤:増田スケールに、増田メロディに、増田ベースラインですね。

景山:そういえば当時、ゲームフリークのサウンドチームで“『ポケモン』の音楽らしさとは”っていう座談会をしたことがあります。どういう部分が特徴かを話しあって、それが終わったあと、みんなでレポートを書いて出すという。

安藤:増田さんの作曲法を、みんなで勉強したわけですね。すでに音楽の方程式や理論が確立されていて、「ここにこの音を置くと増田さんのテイストになる」ということを、みんなが理解した。

景山:そうだと思います。ただ、僕は増田さんの模倣をやりたいわけではなく、そのなかに自分の色を入れるっていうのを心がけていました。僕が増田さんのテイストに近づけて曲を作っても、「新しいけどちょっと『ポケモン』っぽい匂いもあるね」って言ってもらえたりしましたね。

安藤:新しいけど、ポケモンらしさもある。

景山:『ブラック・ホワイト』では、フィールド曲に『ポケモン』らしくないテイストを入れること、そしてシナリオのエモーショナルな部分に、そのシーン専用の曲を入れたいってアイデアを出したんです。映画やドラマの音楽ように、物語に音をつけるのが好きなんですよ。

安藤:たしかに、その音楽演出は映画やドラマの演出に近いですね。
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景山:それまでの『ポケモン』にはそういう曲はなくて、音楽がシナリオに寄り添い過ぎず、ある種淡々と進んでるのが“らしさ”でもあると思ったんです。ですが、増田さんが『ブラック・ホワイト』ではシナリオを今までより濃厚にしたいとおっしゃられて。今までは音楽がシナリオに寄り添って、感動するシーンに泣きのメロディを入れるということをやってこなかったんですけど、ここで新しい音楽アプローチをしたら、ユーザーへの響き方も変わるだろうと思ったんですね。

実際にやってみたら、これが大当たりしまして。たとえば、ゲーム中盤で女の子のトレーナーとお父さんとの親離れ子離れみたいな泣きの物語があるんですけど、そのシーンのために作った「揺れぬ想い」って曲は、このシーンで初めて流れるんですよ。

安藤:今までの『ポケモン』にはなかった演出。

景山:ええ。ここでこの曲を流した瞬間、シナリオにより感情移入できるようになり、多くのみなさんに「これは新しい!」と評価してもらえました。

安藤:そういうエピソードがあったんですね。ちなみにわたしは『ポケットモンスター X・Y』のエンディング曲「KISEKI」が好きなんです。『X・Y』は『ブラック・ホワイト』以降の、物語に音楽的な演出が組み込まれた『ポケモン』って感じですよね。初代の『赤・緑』をクリアしたときには、ああいう感じで音楽が鳴ってなかったことがよくわかります。

景山:「KISEKI」は中川翔子さんにも歌っていただけました。

安藤:アニメのエンディング曲にもなっていましたよね。『ポケモン』の曲を書いてるときの楽しさとか、心がけているようなことはありますか? 『ポッ拳』まで含めると、シリーズタイトルは相当な数にのぼると思いますが。

景山:ゲームフリークから独立しても、『ポケモン』のお仕事はやらせていただいていて、『ポケモンコマスター』なんかは本編とは違うアプローチでやらせてもらったりもしました。でも、ユーザーさんが遊んだときにどう響くのかとか、ユーザーさんのことを想像して作るとか、これをやったらユーザーさんが喜ぶだろうなってことは常に考えています。

安藤:常に遊んでくれるお客さんのことを意識して楽曲を作っているんですね。

景山:ゲームの発売日には毎回視察に行っているんですよ。うれしそうな顔で何時間も並んで、ゲームを買っていただくシーンにはグッときます。そういう姿を見ると、どんな辛いことがあってもがんばれるというか……。こんなにたくさんの人に自分の曲を聴いてもらえて感動してもらえるってのは、自分にとって天職だと思いましたね。

安藤:開発にあたって辛い瞬間や苦しい瞬間はあると思いますが、それもすべて吹き飛ぶ瞬間ですよね。

景山:開発のみんなはすごく楽しい雰囲気で明るいですし、作っていて辛かったことって、じつはあんまりなかった気がします。肉体的に辛かったことくらいかな……(笑)。会社に行くのが嫌だってことは一回もありませんでした。

安藤:別のインタビューで拝見したんですが、「ゲームフリーク時代の将太はめちゃめちゃ楽しくて、すごく円満に辞めたし、ほんとにいい思い出ばかり」と言われていましたね。

景山:ゲームを作るということ──ゲームフリークではプログラマー、デザイナー、いろいろなスタッフと話し合いながら仕事ができましたから。しかもゲームフリークって「サウンドの人も企画を出しなさい」って会社なんですよ。「言ってもいい」くらいのレベルではなくて、「職種に関係なくどんどんゲーム作りに参加しなさい」ということを求められる会社だった。だから常に、みんなでおもしろいことを追求していけたんです。本当に楽しい雰囲気だったんですよね。

安藤:ゲームフリーク時代に過ごした時間が、景山さんにとっていかに貴重であったのかがよく伝わってきますね。

景山:ちなみに、最後の『X・Y』のときにはマネジメントの役職にもなっていたんですよ。そのうえで、全体をまとめるサウンドディレクターって肩書ももちろんあって。音楽の方向性を決めて、SEとか鳴き声とかいろいろな音のリソース全部を管理し、ほかのスタッフに指示も出して、納期も管理する。これらのことをやらなきゃいけないなかにあっても、僕はどうしてもコンポーザーでもあり続けたかった。この仕事の物量があると、たぶん、普通の人間にはもう曲は書けないんですよ。

安藤:肉体的にも精神的にも難しいと思います。そこまで景山さんを突き動かしていたものはなんなのでしょう?

景山:僕はずっとコンポーザーであり続けたいと思っていたので、どれだけ忙しくても時間を捻出して曲を書いていましたし、それこそが楽しかったからでしょうね。あとは、それぐらいギリギリまで追い込まれても、世界のみんながこのタイトルを待ってくれていると思えば、がんばるエネルギーが沸いてきました。なぜあそこまでがんばれたかと言われたら、究極のところ、それしかないんですよ。見えない何かが力となって、背中を押してくれていたとしか言いようがないんですよね。

(後編に続く)

後編はこちら→独立後、『黒騎士と白の魔王』のサウンドコンポーザーに抜擢
■景山将太 最新サウンドトラック『黒騎士と白の魔王オリジナルサウンドトラック』が好評発売中!

2017年4月より配信されている『黒騎士と白の魔王』のサントラ第一弾が待望のリリース。コンポーザーは景山将太と下村陽子が担当しており、生のオーケストラ演奏を録音したダイナミックなサウンドが聴ける。もはやスマホゲームの域を超えたクオリティで迫る1枚だ。
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テキスト:風のイオナ(FLOOR25) ゲームと音楽と旅と自転車が好きな東京在住フリーライター&エディター。最近は地下アイドルグループDORCAのプロデューサー業もやってます。
ツイッターアカウント→風のイオナ@ハイパーいおなぴ@ionadisco
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