初のFM音源を使った『影の伝説』で自由に手腕を発揮! 小倉久佳音画制作所×安藤武博対談【サウンドコンポーザーに訊く!/連載第9回・前編】
『ダライアス』シリーズや『ニンジャウォーリアーズ』などの作曲を担当したほか、タイトーサウンドチームバンドであるZUNTATAの顔としてタイトーサウンドを引っ張ったOGRこと小倉久佳氏。2007年にタイトーを退社してからは、小倉久佳音画制作所として音楽に留まらず、さまざまなアーティスト活動を行っている小倉氏とゲームDJが対談! 前編の今回はタイトー入社のきっかけからタイトー初期作品、そして初のFM音源タイトルとなった『影の伝説』などのお話をお届けします。
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小倉久佳音画制作所(写真左)
1983年にタイトーに入社し、サウンドチームに配属となる。『THE 運動会』でサウンド担当デビューし、以降『影の伝説』、『奇々怪界』、『ダライアス』、『ニンジャウォーリアーズ』など、タイトーの代表作のサウンドを多数手掛ける。2007年にタイトーを退社し、小倉久佳音画制作所と名義を改め、「俯瞰した事実と客観的な虚構 このふたつで僕は世界をつくる」や「O-parts」などのオリジナルアルバムをリリースしている。

■職業作曲家を目指していたところにタイトーの募集広告を見て応募し、タイトーに入社

安藤武博(以下、安藤):小倉さん、本日はよろしくお願いします。小倉さんは業界の大先輩ですよね。そして来年は「あれ」ですね?

小倉久佳音画制作所(以下、小倉):そうですねえ。「あれ」です、還暦です(笑)。あっという間ですけどね。

安藤:あっという間でしたか。小倉さんは、いわゆる「ゲーム業界の第一世代」の方だと思うのですが、そもそもゲーム業界に入られたきっかけはなんだったのでしょう?

小倉:はじめて『クレイジー・クライマー』をゲームセンターで遊んだとき、ゲームから声が出ていたことに驚いたことがきっかけですかね。ちょうどそのころ、海外で話題になっていたサンプリングキーボードに目をつけていて、これは何年後かに日本で発売されたら絶対売れるなと思っていたんですよ。それをきっかけにゲーム業界はおもしろそうだなとインプットしたんです。でも、すぐに何かしたわけではありませんでしたけどね。当時はあくまでも音楽だけをやっていきたかったので。

安藤:それはプロミュージシャンとしてでしょうか?

小倉:いえ。「職業作曲家」としてですね。

安藤:お仕事を始められる前からコンポーザー志望で、作曲家の道へ進みたいと思われていた。

小倉:そうなんです。とはいえ紆余曲折がありまして、職を探しているとき新聞に「タイトーの営業事務募集」という募集広告が載っていて。

安藤:営業事務の募集ですか?

小倉:ええ。希望職とは違うけど、入っちゃえばなんとかなるだろうと思って履歴書を送ったんです。

安藤:今でも通用する必勝法だと思います(笑)。

小倉:そうしてタイトーの本社で面接をしたんですが、そこで履歴書の第二希望に「音響関係希望」と書いておいたことが功を奏しまして。面接で営業のかたとお話した際、「君はサウンドをやったほうがいいんじゃないかな」とおっしゃっていただいたんですね。

安藤:してやったりな感じですね(笑)。

小倉:まさに(笑)。そうして何かのオーディションを受けるでもなく「来週、現場見学に来なさい」といわれ、連れて行ってもらったのが当時のタイトー中央研究所。そこでいろいろ見学させてもらって、その時引率していただいた方に、食堂でカレーライスをごちそうになったんです。それがまた独特のカレーで、ものすごくインパクトがありました(笑)。

安藤:どういう味だったんですか?

小倉:クセが強い味なんですよね。ルーが水っぽくてとろみがなくて。

安藤:当時タイトー中央研究所に居た方に聞けば、みなさん同意されるぐらいのネタです?

小倉:絶対知ってますよ。今となっては思い出深いです。話が逸れましたけど、それで、いつの間にかタイトーのサウンド部署に配属になりました。ちょうどタイミングよくサウンドセクションを作ったばっかりのときで、当時の上司だった今村善雄さん(※1)があちこちからスタッフを引っ張ってきていた時期でした。これからサウンドに力を入れていこうと思っている会社に入れてよかったなと思いました。

(※1)今村善雄……当時のタイトーサウンド開発の中心人物。『ちゃっくんぽっぷ』や『エレベーターアクション』などのサウンドを担当している。
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安藤:当時はどういう環境で作曲をされていたのでしょう? もともと職業コンポーザーを目指しておられたということは、譜面を起こして、ピアノを弾いて録音もして……という形でしょうか?

小倉:そうですね。作曲家になるにはピアノは必須だろうと思ったのが高校3年だったので、本格始動としては遅かったんですけど。バイエルンの上下巻までは終わらせるぞと、必死でがんばりました。

安藤:それが人生で初めての楽器経験だったのでしょうか?

小倉:いえ。じつは小さいころにもピアノは習わされていたんです。でもそれが嫌で3カ月くらいで辞めちゃって。そのあとは、再びピアノを始まるまでアコースティックギターをやっていました。

安藤:時代的にはフォークブームのころですね。

小倉:まさに第2次フォークブームでした。中学校2年生くらいのころにブームが来たんですよね。井上陽水にハマって、レコードを聴きまくっていました。

安藤:陽水と言えば福岡出身ですし、小倉さんも福岡のご出身。福岡ではすごく盛り上がっていたのでは。

小倉:福岡生まれというのはあまり関係ないですかね。じつは、福岡にいたのは2年間だけなので。生まれたのが福岡で、そのあとすぐ北海道に引っ越したんです。父の仕事の関係で2年間単位で引っ越していて。ただ、福岡には小学校3~4年の時もいたんですけど。

安藤:ピアノを本格的に始めたのが高校2年生のころとなると、何を始めるにも遅すぎることはないということを体現されていますね。今の若い子に希望を与えられるエピソードだと思います。

小倉:楽器を始めるのに絶対に遅いってことはないと思いますね。「俺もう30歳だから……」とかいうのを聞くと「何を言ってるんだ君は」って感じます(笑)。何かをやりたいと思ったら、年齢や可能性を決めるのは自分じゃないですか。30歳だから遅いっていう人は、その時点でダメですよね。人は本当にやりたいと思ったことなら、40歳でも50歳でも60歳でも始めますから。

安藤:この記事は将来サウンドクリエイターになりたい人も読む可能性があるので、とてもいい話だと思います。では、お話を戻して。『クレイジー・クライマー』のサンプリング音源に興味を持ったとおっしゃっていましたが、シンセサイザーやサンプリングマシーンなどにも興味があったのでしょうか。

小倉:そうなんですよ。アコギをやってたときにコードや譜面をすぐに書けるようにならなきゃダメだろうと思って、ピアノを始めたんですけど。YMOが出てきたときに「なんだこれ!?」と衝撃を受けまして。とにかくカッコよくて、これはシンセサイザーを買うしかないと。
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安藤:一番最初に買われたシンセサイザーは?

小倉:ローランドのSH-2というモノラルシンセです。当時はモノラルとかポリフォニックの違いをを知らなかったんですよね。シンセを買えばYMOができると思っていた(笑)。

安藤:でも、単音しか出ないという(笑)。

小倉:がっかりでしたよ(苦笑)。仕方がないので、その後ヤマハのオルガンキーボードみたいな鍵盤を買いました。それと、生ピアノを3台組み合わせて、カセットテープのMTRで多重録音をしたYMOの曲のバックトラックを作ったりしていました。それを友達に聴かせてビックリさせたりして。

安藤:いいですね。振り返ってみたらポリフォニックとモノフォニックはわからなくても、その後ゲームのお仕事をされたときに、同時発音数がすごく少ない領域で作曲をする際、役に立ったこともあったのでは?

小倉:それが役に立ったなと思ったのは、FM音源で音色を作るようになったときですね。アナログシンセの考え方が頭に入っていると、イメージどおりの音色を作っていけたんです。FM音源のPSGが3音しか出ないっていうのは、ちょっと愕然としましたけどね。「えっ、こんなもんなんだ」って(笑)。

■『ダライアス』のAゾーンの曲「CAPTAIN NEO」はあとで差し替える予定だった

安藤:では、タイトーでサウンド制作の部署に入り、デビュー作の『THE 運動会』を手掛けたときのお話をお聞きしてもよろしいでしょうか。

小倉:『THE 運動会』はクラシック曲のアレンジと、作曲はネームレジストやファンファーレなどの部分のみを担当しました。1作まるまる担当させてもらったのは、『アウターゾーン』が最初だったかな。

安藤:今回の対談にあたり、小倉さんの曲をあらためて聴いて記憶のなかの映像とタイトルを照らし合わせる作業をしたのですが、じつは『アウターゾーン』や『アルカノイド』、『ヴォルフィード』のようなパズルゲームの印象があまりなかったんです。どちらかというと『ニンジャウォーリアーズ』や『ダライアス』のイメージが強いというか、熱くてメロディアスで、それこそライブ映えするような楽曲が多い方だと思っていました。

でも、パズルゲームの音楽も前衛的というか、ファクトリーノイズ的な曲も多い。この対比がおもしろいですよね。バラエティに富んだ作品をたくさん作られている方だと思いました。

小倉:当時はすごくタイトル数が多かったんで、こなすのはたいへんでしたけどね。2週間に1本みたいなペースでしたし。
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安藤:そんなにすごいペースだったんですね。

小倉:すごいペースでしたよ。だから段々とこう……ダメになっていくのもわかるんですよね。自分としては悔いを残している部分もありました。そうしたハイペースが少し和らいだのは、『影の伝説』や『奇々怪界』のあたりですかね。あのころからは、ある程度自分のペースで作れるようになりました。

安藤:では『影の伝説』までの、それこそ『メタルソルジャーアイザックⅡ』とか、幻の『メタルソルジャーアイザックⅠ』あたりはてんやわんやで作ってたんですね。

小倉:そういう感じでした。

安藤:『メタルソルジャーアイザック』はいきなり『Ⅱ』がリリースされた事実がファンの間で話題になりましたけど、『アイザックI』で書かれた曲「CAPTAIN NEO」が好評で、そのまま『ダライアス』に採用されたというエピソードをお聞きしたことがあります。あれは音源をそのまま『ダライアス』に使用しているんでしょうか? それとも『アイザックI』で作ったときの音源をベースに、またアレンジを加えたものなのでしょうか。

小倉:ほぼそのままですね。ただ、音源の移動はできなかったんですよ。もとがコルグの音源で、移植先はヤマハのFM音源でしたから。譜面はちゃんと書いて残してあったので、それを新人の子に渡して打ち込んでもらいました。『ダライアス』は本当にいきなりだったんですよ。ショーに参考出展で出すことになったから、何か曲を入れてほしいと言われて。

安藤:ものすごい緊急案件だったわけですか。

小倉:突然そんなことを言われても「はいそうですか」とできるものじゃないし、筐体も今までにないレベルでデカいし。これは何か印象的な曲を流さないとダメだと思い、「CAPTAIN NEO」が評判よかったからとりあえずこれを入れてみようと思って採用したんです。なので、本当は完成版では別の曲に差し替える予定だったんですよ。だけど、予想に反してあまりにも「CAPTAIN NEO」が定着しすぎちゃったこともあって、「ならこのままでいいか」と……。僕はもっと全体を前衛的な感じにしたかったんですけどね。
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安藤:「CAPTAIN NEO」自体はとてもメロディアスな曲ですよね。本当は思い描いていたものの一部に過ぎないんだけど、それが自分の手すら離れてワーッと進化した……そんな印象も受けました。

小倉:そうですね。もうそうなると手の施しようないじゃないですか。だからそれはそれで流しておいて、本当にやりたかったことはこれだよっていうのをほかの曲で作っていったんです。たとえば「CHAOS」なんですけど、ああいう路線の曲をもっと定着させたかったっていう思いはあります。

安藤:失礼ながら、当時はサウンド自体がそんなに重要なものだと思われていない時代だったと思うんです。でも、タイトーはそのころから自社でサウンドチームを抱えていて、音楽に対してのアプローチが早かった。

小倉:でも、そこはナムコさんが一歩早かったと思いますよ。特に大野木宣幸(※2)さんのサウンドがすごくよかった。当時は大野木さんのサウンドに嫉妬していた部分もありましたね。大野木さんの曲ってすごく親しみやすいんですよ。こっちはもうちょっと尖った感じでいきたかったから、周りからナムコさんのサウンドがいいって言われると、なんかこうスネてきちゃうみたいな(笑)。

(※2)大野木宣幸……元・ナムコのサウンドクリエイター。『ニューラリーX』、『マッピー』、『リブルラブル』などのサウンドを担当した。

安藤:いい意味でのライバルみたいな存在ですかね。それこそ、ナムコはYMOの細野さんとアルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』を作られていましたもんね。

小倉:そうなんですよ、あれもショックでした(笑)。

安藤:わたしもアナログ盤で持っていますが、あのアルバムはゲームミュージックが普通のポピュラーミュージックの領域にドンと入ってきたパイオニアですよね。

小倉:そうだと思います。正直、「大野木さんに並びたい!」と焦る部分や苛立つ部分など、いろいろありました。それでじっくりと大野木サウンドと向き合った時期があるんですよ。社内にあるナムコのゲームをずっと遊んでいたら、少しずつ大野木さんが考えてることがわかってきて。楽曲の構造や「ああ、こういう構造からこうつなげていってるんだ」といったテクニカルな部分も勉強させてもらいました。
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安藤:小倉さんが、大野木さんの作ったゲーム音楽を分解して再構築していたというのは意外なお話ですね。

小倉:みんながいいと言うからには、何か理由があるはずだと思ったんです。だったらそれを学びたいな、と。そこは謙虚になって研究しましたね。大野木さんって、まだ音の入ってないゲーム画面を見ながら、どういう音楽が合うか持ってるカセットテープを片っ端からかけていたそうなんです。それで画面とマッチングした曲に類似した楽曲を作っていく……という手法をとられていたそうで。

安藤:おもしろいですね。たとえば『マッピー』のBGMは、どんな曲をかけてイメージが合ったのかを聞いてみたい。

小倉:聞いてみたいですよね。すべてがそういう作り方をしていたとは思わないんですけど、それが大野木さんのやり方のひとつだったんだろうなと。ゼロから作っていくよりも、ある程度枠を決めて作るというのは、自分にはない発想でした。

安藤:ナムコサウンドの音色についてはどう考えられていましたか。

小倉:音色は、ナムコサウンドって言ったら一発でわかりましたから。あの音色はすごかった。結局、あれを超えることはできなかったと思っています。

安藤:そうなんですか?

小倉:正直、何をやってもダメでしたね。コルグのチップはお話にならないぐらい埋もれてましたし、PSGの音は立つことは立つんですけど、ラインを聴き取れるほどでもないんですよ。ナムコのゲームはインカムがよかったから、筐体のボリュームが上げられているっていう側面もあったんでしょうけど。だってゲーセンの外を歩いていても聞こえてきましたからね。

安藤:ゲームのインカムによってボリュームが変わるって側面もあるんですね。

小倉:あったと思いますよ。でも、ゲーム制作は難しいですよね。いいゲームを作っても、いいインカムが得られるかは出してみないとわからない。それでも媚びずに、だからといって尖りすぎずみたいに、バランスをうまく取らなければならない。そこがおもしろい部分でもありますね。

■『影の伝説』は最初にMSM5232で作り、そのあとでFM音源版を作った

安藤:『影の伝説』と『奇々怪界』はオリエンタルというか、「ファ」と「シ」の音を抜いた「和」な旋律をすごくわかりやすく提示されていましたよね。とくに『影の伝説』は、ドラムやベースにかなり迫力があってカッコいい。音色も主張が強いし、ここらへんは狙ってやられた部分なのでしょうか?

小倉:『影の伝説』は、じつはゲーム自体がお蔵入りになる可能性もあったんですよ。ただ、それでもサウンドも作って入れないといけなくて。

安藤:ええ? あの『影の伝説』でさえお蔵入りになる可能性があったんですか? しかも、その可能性もありながらサウンドを作らないといけなかったなんて。
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小倉:そうなんですよ。ある程度開発製品として完成させましたけど、リリースはしません……という流れが必要だったらしくて。

安藤:やれることはやったけど、これは商品としてはペンディングしましょうって会社判断があったのかもしれませんね。でも、それは会社的な問題であって、クリエイターにとってはつらい部分だったのでは。泥舟に乗るみたいな気持ちになりますよね。

小倉:そりゃあなりますよ(笑)。でも、それがどこまで本当のことかはわからないですからね。「小倉、これはボツになるかもしれなくて悪いんだけど、曲を作ってくれないか?」って言われたら断れません(笑)。

安藤:でも、『影の伝説』のサウンドは決してヤケクソで作られたものではないように思います。当たり前ですがしっかり作られている。

小倉:だったら好きに作ってやれ、と思ったんですよ。「和風で忍者っぽいものならいいんでしょ?」ってノリで。ちょうどそのころFM音源で曲を試し作りしていた時期だったこともあって、それを試してやろうと。

安藤:納得です。FM音源の代表選手みたいな音色がたくさん聞こえてきますもんね。

小倉:一番作りたかったのがシンセドラムで、かなり作り込みました。たとえば「ポゥーン」って鼓の音。やってみたら「ポゥーン――――――」と間延びしたものになっちゃうんですよ。だから「ポゥーン」って鳴ったところでボリュームを0にするっていう方法を使って。“この音をこういう風に動かしなさい”っていう命令も入れて、やっと「ポゥーン」になるわけで。それにリフとかを入れちゃうと、ものすごいことになるんですよ。でも、そのへんも楽しみながら作っていました。

安藤:お蔵入りになりかけた『影の伝説』ですが、なぜ表に出ることになったんでしょうか。

小倉:確か、ゲームショウに出したことがきっかけだったかと。元々グラフィックは綺麗だったし、ゲームとしても評価していただけて、ゲームショウに出したら売れたらしいんですよね。

安藤:『影の伝説』って色気がありますもんね、今見ても。

小倉:商談がいっぱい来ましたから。当時のタイトーって、基板の売れた枚数が各セクションの会議で報告されて、聞いた話だと800枚とか1000枚とか、このゲームは1500枚いったぞとか、我々でも聞けたんですよ。ほかのメーカーさんは1万枚とか2万枚売れてるのに、2000枚行ったらタイトー的には「おおー!」ってなるくらいの規模だったんですけど。そんななか、『影の伝説』は6000枚とか売れて。それで勢い付いたっていう感はありましたね。

安藤:ファミコンにも移植されて、そちらも大人気でしたよね。しかも日本だけじゃなくて海外でも。

小倉:本当はファミコン版もやりたかったんですよね。残念ながら担当できませんでしたが。

安藤:小倉さんがファミコン版『影の伝説』を当時の環境で作ったとしたら、どういう仕上がりになったのかは気になりますね。
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小倉:極端な話、ここを聴いてほしいっていうのは一本にできるじゃないですか。だから2パートあれば十分なんです。でも、そこをわかっているのは当時僕以外にはいなかったはずなので、そういう意味でもやってみたかったですね。

安藤:そして、次にアーケード版『奇々怪界』の話ですが、これはとくにお蔵入りの可能性などはなかったのでしょうか。

小倉:『奇々怪界』は普通に進行していたゲームです。企画の薮崎久也君から「遊園地みたいな曲にはしないでくれ」って依頼があって(笑)。彼は強気で来るタイプだったので、そういわれて「ああ、ならどうしようかな」って思っていたときに、「鬼太郎みたいな曲はどうだろう?」ってアイデアが生まれて。

僕としては、小夜ちゃんのキャラクター見たときに「ヒュ~ドロドロ……」というベタなものにはしたくないなっていう部分があって。鬼太郎の方向性なら、うまく仕上げられると思ったんです。そうしたら「鬼太郎をもっと怖くできますか?」って言われたもので、「だったらもっとムードを出せばいいのかな」と考え、楽曲を構築していきました。

安藤:昭和にアニメ放映された、1期や2期の鬼太郎のイメージでしょうか。第3期は1985年に始まっているようなので、『奇々怪界』の開発中と同じくらいの頃だと思うのですが。

小倉:正直、アニメはあまり興味がなかったので、3期の鬼太郎は見ていないですね。なので、最初のころの鬼太郎のイメージです。

安藤:『奇々怪界』はファミコン版に移植された時に伊藤美紀さんに「小夜(リトルナイト)カーニバル」というイメージソングを提供されていますよね。

小倉:イメージソングっていうか、勝手にイメージソングみたいになっちゃったんですよ。自分としてはアイドルの曲が作れるうれしさと、スケジュールが厳しくて辛いっていうのがちょうど半分半分でした。

安藤:あの曲は、普通のゲーム音楽と違うアプローチで作曲されたんですか? それともゲームの世界をそのまま歌にしたらどうなるのかな、っていうアプローチだったのでしょうか。

小倉:あまり変わらなかったと思いますけどね。伊藤美紀さんが『奇々怪界』のイメージキャラクターをやられていたので、その絡みで曲を作れることになり、その曲をシングルのB面に入れられるよってお話をいただいて。一応『奇々怪界』絡みっていうテーマだけがあったのですが、今思えば、もう少し時間をかけて作りたかったかもしれません。

(後編に続く)

後編はコチラ→『ダライアス』のサウンドは社内のサウンドチームでやりたかった

■ニューアルバム『O-parts』が好評発売中!

小倉久佳音画制作所の活動10周年を記念して今年2月にリリースされた企画アルバム。タイトー在籍時代の2000~2007年に制作された楽曲の中から未CD化となっていた楽曲を音源化し、全28曲が収録されている。
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小倉久佳音画制作所 オフィシャルTwitterアカウント→小倉久佳音画制作所@H_Ogura

テキスト:風のイオナ(FLOOR25) ゲームと音楽と旅と自転車が好きな東京在住フリーライター&エディター。最近は地下アイドルグループDORCAのプロデューサー業もやってます。
ツイッターアカウント→風のイオナ@ハイパーいおなぴ@ionadisco