[CEDEC 2016]日本で働く海外のクリエイターがパネルディスカッションで明かした,「日本ならでは」のゲームとは
「ガラパゴス化」という言葉がときに幅を利かせるように,日本のゲーム(およびゲーム産業)は「世界と違う」と語られることは珍しくない。しかしながら,この「日本ならではのゲーム」とはどんなゲームなのだろう? 日本在住の海外出身ゲーム開発者が,その謎に迫った。
注目のコメント
- フロントエンドエンジニア/マーケター/グロースハッカー
オザン氏「そもそも日本のゲームが駄目論は根拠が弱い」「日本のゲームの市場規模はいまでも十分に大きいし,日本のクリエイティビティそのものは成長している」と断言する。
あくまで「海外での盛り上がりが非常に大きいため,比較して小さく見える」というわけだ。
2016/08/30 17:15
更新
よく日本製ゲームを頭ごなしに批判したがる日本人のゲームユーザーを見かけるが、そのほとんどは「日本は独自性が強すぎて海外ウケしない。もっと海外のようなゲームを、もっと海外を目指して」といった海外との比較に終始していて、ある種の海外市場の熱気への憧れの域を出ない主張が繰り返されているという印象さえ受ける。
文化の違いは当然ゲームの趣向の違いにも繋がるわけだが、日本人はとりわけ「海外との違い・独自性=マイナス面」と捉えがちなところに、日本のゲーム市場の問題が潜んでいるような気がしてならない。
ゲーム内容の画一化は日本に限らず各国の市場で起こっており、その画一化は悪く言えば「マンネリ」なのだが、それは市場が「面白い」と反応した結果の画一化であるともいえる。
もしかすると、日本人はすぐに「マンネリ」を感じ、そのため新たな刺激を持つゲームに憧れる傾向があり、海外では逆に、自分たちが一度「面白い」と感じたら、それを長く楽しんでいる傾向があったりはしないだろうか? そうだとするならば、日本人の目からは海外のゲームばかりが楽しそうに盛り上がってるように見え、自分たちもその輪に入りたい、という気持ちになってしまっているのかもしれない。
日本のゲームの質を高めつつ日本のゲーム市場を盛りあげるためには、まずは日本人が日本人として「面白い」と思える新たなアイデアを生み出すことや、生み出されたものを他所の目を気にせずにしっかり楽しむことが必要なのではないかと常々思っており、必ずしも海外の趣向をマネする必要は無いのではないかと感じる。
……個人的には、日本でも世界でもウケが良いゲームというのは、もしかすると、細かく作り込まれたシミュレーターのような複雑なゲームよりも、感覚的に遊べるシンプルなゲームなのかもしれない、と思ったりする。
日本人は、まだまだ海外にも誇れるような優れたアイデアを出し続けられると信じている。