「フリートゥプレイ」の先駆者が電撃移籍! スーパーアプリ・石橋氏が語る「変化と挑戦」(前編)
名古屋に拠点を置き、『ライバルアリーナVS』などの人気ソーシャルゲームを多数世に送り出している気鋭の開発会社・スーパーアプリ。東京オフィスも開設され、今後さらなる飛躍が期待されるこの気鋭の会社に、この秋“アプリ業界の先駆者”が電撃参入を果たしたことをみなさんはご存じだろうか?
先駆者の名は『マジモン』などを手掛けた元・株式会社dango-の石橋広在氏。「フリートゥプレイ」のゲームを世に浸透させたパイオニアともいうべき石橋氏が、なぜスーパーアプリへの移籍を決断したのか? その思いを、ゲームDJ・安藤武博がインタビュアーとして直撃する。今回はロングインタビューの前編として、石橋広在氏がどのようなクリエイターであるかにスポットを当てていこう。
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▲左から安藤武博、石橋広在氏、飯沼正樹氏。
■『マジモン』で一世を風靡したクリエイター・石橋氏がスーパーアプリに加わった理由
安藤武博(以下、安藤):『マジモン(マジック&モンスター)(※1)』を手掛けた石橋さんが、スーパーアプリに入社されたと聞いて、居ても立ってもいられなくなってお話を聞きに来てしまいました。本日はよろしくお願いします。
(※1)『マジモン』:多種多様のモンスターが存在する平行世界の東京を舞台にしたソーシャルRPG。モンスターを集めて育成し、トーナメントやリーグ戦に出場して勝利を目指す。フリートゥプレイで楽しめるほか、誰でも気軽にトーナメントを開催できるなど、斬新なシステムが多数盛り込まれていた。
石橋広在氏(以下、石橋):こちらこそよろしくお願いします。
安藤:さっそくですが、私はスクウェア・エニックスで、スマートフォンゲームの黎明期から売り切りのゲームやソーシャルゲームを手掛けてきました。私から見ると、業界にスマホで「基本無料+アイテム課金」で遊べるゲーム、すなわち「フリートゥプレイ」という概念を根付かせたのは『マジモン』だと思っているんです。そんなタイトルを手掛けたdango-の石橋さんは、言ってみれば“フリートゥプレイの先駆者”のような存在なんですけど、その石橋さんがなぜ今このタイミングでスーパーアプリに参加することになったのか、ものすごく興味があります。
石橋:そう言っていただけるのは光栄ですね。私のほうも、じつは安藤さんの存在はずっと意識していたんですよ。よくワタノリさん(※2)から「変な上司がいる」ってお話を聞いていたので(笑)。
(※2)ワタノリさん:元スクウェア・エニックスのゲームプロデューサーである渡辺範明氏。海外のボードゲームや輸入雑貨などを取り扱うネットショップ『ドロッセルマイヤーズ』を経営している。自らが企画したオリジナルボードゲームのプロデュースなども行っており、石橋氏とも安藤とも親交が深い。
安藤:なるほど、石橋さんはワタノリさんと交流が深いんですね。ワタノリさんはスクエニ時代、私のアシスタントを務めてくれていたんです。そもそも彼こそが変態というか、私としてはあそこまでおかしな人間はなかなかいないと思っているんですけど(笑)。突然スクエニを辞めて、ボードゲーム屋を始めたりするような男ですからね。でも、そうですか……そんなワタノリさんに「変な上司」と言われていましたか。
石橋:ええ。爆弾を解体するゲームとか、ヤンキーとバイクのゲームとか、明らかに世の市場を見ないで好きなものばかり作るプロデューサーが上司にいると、よく安藤さんのお話をしてくれてました。
安藤:ヤバイ。言い返せない(苦笑)。でも、共通の知人がいるからなのか、石橋さんには不思議なシンパシーを感じますね。そもそも石橋さんは、dango-を設立される前は何をなさっていたんですか?
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石橋:任天堂系列の開発会社である有限会社スキップで仕事をしていました。最初は西さん(※3)の部下として働いていたんですよ。
(※3)西さん:西健一氏。日本テレネット、スクウェア・エニックス、ラブデリック、スキップなどのゲーム会社を経て、現在は有限会社Route24の代表を務めるゲームクリエイター。
安藤:なるほど! 石橋さんは西さんの系譜というか、ラブデリック系の血脈が流れている方なんですね。ラブデリック系のクリエイターといえば、私はアソビズムの森山さん(※4)やオインクゲームズの佐々木さん(※5)と親交があるんですけど、お2人ともユニークでオリジナリティが高い作品を作られるクリエイターです。そこは石橋さんが手がけた『マジモン』にも同様のスピリットを感じますし、お話を聞いてものすごく納得できました。
(※4)森山さん:株式会社アソビズム 森山スタジオの主宰である森山尋氏。『ドラゴンリーグ』『ドラゴンポーカー』『城とドラゴン』など、数々のヒット作品を手掛けている。
(※5)佐々木さん:株式会社オインクゲームズの代表取締役である佐々木準氏。ボードゲーム/デジタルゲームのディレクターとしても活躍中で、「伝説の旅団」「藪の中」「エセ芸術家ニューヨークへ行く」「小早川」「海底探険」などを手掛ける。
石橋:そうですね。安藤さんが名前を挙げたクリエイターたちは、今なお交流がありまして、さまざまな愛憎劇を繰り返している面々なんですよ(笑)。
安藤:え、愛憎劇なんですか? なんというか、そこらへんも随分“ラブ”デリック的ですね(笑)。
石橋:そうかもしれません。それにしても、思っていた以上に安藤さんとは共通の知人が多いですね。ずっと「いつかお話をしてみたい」と考えていたので、今日はとてもうれしいです。
安藤:私としても強いご縁を感じます(笑)。では、そんな石橋さんがなぜdango-を設立するに至ったのか、まずはその経緯から教えてもらえますか?
石橋:はい。スキップに所属していた時代は、任天堂のセカンドパーティとしてゲーム開発の仕事をしていました。もう10年以上前でしょうか……。私としては、昔からオンラインゲームを作りたかったのですが、それは当時の任天堂のスタイルには合わなかったこともあり、ならば「自分で作れるようにしてしまおう」と考え、dango-を起業することになりました。ちょうどミクシィがオープン化するようなタイミングでしたね。
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安藤:dango-では、最初Facebookのゲームを作られていましたよね? たぶん、石橋さんの取り組みが世界初だったのでは……と思うんですけど。
石橋:ええ。最初はFacebookで遊べるビンゴゲームを作ったりしていました。サーバーと うまく連携できないなど、ずいぶん苦労した記憶がありますね(苦笑)。そうこうしているうちに、GMOから資本を入れてもらえることになりまして。当時は、それこそスーパーアプリの飯沼さんのお名前を聞くことになったタイトル『ガドランマスター!』のこととか、いろいろお手本にさせてもらっていましたよ。
安藤:あの時代は、同じフレームワークをいかに磨き上げるかが重要でした。これはゲームの歴史に当てはめて考えると、ものすごく異質だったと思うんです。基本的に、柳の下にどじょうは何匹もいないし、ゲームはいかにしてオリジナリティで勝負するかが課題になると思うんですが、ソーシャルゲームの黎明期だけは「ヒット作のいいところを丸ごと取り入れ、より磨き上げていく」ことが、結果的に正義でした。
石橋:そういう時代でしたよね。ただ、当時のdango-は「独自のものを作る」というオリジナリティにとことんこだわっていたこともあり、そんな時代の潮流にうまく乗っていけなかったところはありました。
安藤:その考え方は正しいですよ。同じものを作り続けていても、お客さんはいつか絶対に飽きてしまいます。ゲームはオリジナリティこそが最重要だと思います。
石橋:同感です。とはいえ、あの頃はオリジナリティを追求しすぎたこともあって、ブラウザゲームではうまく結果を出せませんでした。それもあって、他の会社に先駆けてネイティブアプリに着手することになったんです。当時の流行から逃げたというか、脇道に逸れたという感覚はあったのですが、ハンゲームがネイティブアプリに興味を持ちはじめていた時期でもあったので、今にして思えば、タイミングとしてベストだったとも思います。
安藤:そうしてこの世にうぶ声をあげたのが『マジモン』なんですね。2011年7月……フリートゥプレイのパイオニアとして、この手のゲームではじめて売上げ1位に輝いたことを覚えています。あの衝撃は半端じゃなかった。私たちが、ちょうど『拡散性ミリオンアーサー』を作っていた時期ですから、「うわっ、先を越された」という感覚もありつつ、「やはりこれからはフリートゥプレイの時代になるな」と確信を持てた部分もありました。
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石橋:たしかに、当時はまだフリートゥプレイはクリエイターにもユーザーさんにも浸透していませんでしたよね。
安藤:それだけ『マジモン』が時代を先駆けていたんです。私は2010年に『ケイオスリングス』をリリースして、年間のベストアプリゲームに選んでいただいたりもしたんですが、その時からすでに、ネイティブアプリの市場が拡大していけばいくほど、フリートゥプレイのゲームが主流になるだろうと考えていました。実際、当時の東京ゲームショウのセッションでもそういった話をして、だからこそ「売り切り型のゲームは売れるうちに作って販売しておかねば」と動いていたんです。
石橋:そうでしたか。
安藤:そうはいっても、そんな時代が来るのはもう少し先のことだとも思っていたので、『マジモン』の登場は本当にセンセーショナルでしたよ。正直に言うと「こんなに早いのかよ」と思いました。
石橋:『マジモン』をリリースした頃って、ブラウザゲームが絶対的な人気を誇っていた時代なわけで、クリエイターはみんなその人気が永遠に続くものだと思っていたのではないでしょうか。でも、黄金期というものはだいたい2~3年で終わるものなので、ずっと同じものを作り続けるだけではダメなんですよね。たとえば、DSなら『脳トレ』系。当時はあの手の教養系ゲームがずっと売れるものだと思われていましたが、それは催眠術のようなものなんですよね。実際は、2~3年で静かにその流れは変わっていくというか、終わっていくものだというのは、歴史を振り返ってみても明らかです。
安藤:とはいえ、新天地に向けて足を踏み出すというのはものすごく勇気が必要です。だから、フリートゥプレイが来ると思ってはいても、みんなそちらに向かってなかなか舵を切れなかったのもうなずけます。
石橋:なまじブラウザゲームで成功したメーカーなどは、硬直してしまっていたのかもしれませんね。私なんかは、一刻も早くブラウザゲームから開放されたいと考えていたので、そこに抵抗なんてまったくありませんでしたけど。
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安藤:それは大きな強みだったんじゃないでしょうか。「失敗は成功のもと」と言いますけど、逆に「成功は失敗のもと」って部分もある。なまじ成功してしまったからこそ、それを捨てきれずに硬直してしまうというのは無理からぬお話かもしれません。本当は、ゲームってただ面白いものを作ればいいハズなのに、なまじ大成功を収めてしまったりすると、「このゲームはこうやって成功したんだから、次もこうやらなければならない」という、呪縛的なルーティンが盛り込まれることもありますしね。
石橋:ゲームほど常に変わり続けていく必要があるものって、ほかにそうそうないと思っています。そこに安定はないというか、守りの方針に回ってしまうとよくないんですよ。「リスクを取らないことこそがリスクである」とはよく言われますが、じつは我々自身にも同じことが当てはまります。事実、dango-は『マジモン』のスタイルを踏襲したものばかりを作るようになってしまい、それは大きな失敗こそなかったものの、徐々に減衰してしまいました。ネイティブアプリにかんしては、その加速がものすごかったぶん、減衰の速度もまたすごかったんですよね。
安藤:ブラウザのソシャゲが「ビッグタイトルの表面を変えたコピー」で売れてしまったことも、地味に大きかったかもしれませんね。今考えると異常なことですが、ソシャゲだけは同じようなシステムで外面だけが変わったものが、どんどんヒットを重ねていくという時代がありました。
石橋:先ほど減衰したといいましたけど、我々は新しい試みとして、サンフランシスコとかでの海外展開には挑戦したんですよ。『マジモン』で稼いだ資本を投資して、なんとかひと旗あげようとさまざまなチャレンジを繰り返しました。
安藤:海外。石橋さんの特攻精神というか、新しいことに躊躇なく挑戦する度胸はものすごいですね。
石橋:結果的には、大きな逆風に跳ね返されてしまったんですけど(苦笑)。そうはいっても、自分の中では海外展開で成功を収める夢を諦めることが出来なくて、心はまだサンフランシスコにあります。いつかあそこで何かを発表して、それを根付かせることが私の最大の目標なんですよ。絶対になんとかしてやる……思い知らせてやると、固く心に誓っています。
安藤:ものすごい心意気というか、もはや怨念。ルサンチマンですね(笑)。でも、それはスーパーアプリが海外展開する際の、大きなダイナモになりそうな気がします。では、なぜ名古屋に住居を移してまでスーパーアプリさんに移籍されたのか、聞かせていただけますか?
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今回の記事はここまでとなります。後編では、石橋氏の目から見たスーパーアプリという企業の強みと、近い将来クリエイターの聖地となる可能性を秘めた「名古屋」という土地の魅力を語っていただきますのでお楽しみに!

インタビュー後編はコチラ→名古屋が良いゲームを生み出せる理由とは? スーパーアプリ・石橋氏が語る「変化と挑戦」(後編)
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