海外のさまざまなおもしろいゲームをローカライズし、日本のゲーマーに届けてくれるフライハイワークス。その代表取締役である黄政凱さんの、現在に至るまでの軌跡を追う連載、第5回です。
ついにゲームの発売元である「パブリッシャー」としての一歩を踏み出したフライハイワークス。その第一弾タイトル『魔女と勇者』は大ヒットとなりました。スマホ用に開発されたゲームをニンテンドー3DSに移植するとき、そして海外のゲームを日本版にローカライズするときに、はたして黄さんはどんな工夫をしているのでしょうか。
コラム第1回目:少年期編
コラム第2回目:大学~兵役編
コラム第3回目:就職編
コラム第4回目:起業編
■シンプルなのにドラマチック……そこに惚れた『魔女と勇者』
フライハイワークスが、パブリッシャーとして初めてオリジナルタイトルをリリースしたのは、忘れもしない2013年4月17日。この最初のタイトル『魔女と勇者』は、最終的に日本だけで13万ダウンロードを超える、当時の弊社としては大ヒットの作品になりました。初週のダウンロード数は、当時、任天堂さんの内部でも話題になるほどの本数だったそうです。
どうして『魔女と勇者』をフライハイワークス1本目のゲームとして発売することにしたのか。それはひとえに、僕がこのゲームに惚れ込んだからです。
あの当時、スマートフォン向けのアプリゲームは個人制作が主流でした。100円ちょっと出せば、個性的でおもしろいゲームが購入できたのです。僕もiPod touch(懐かしいですね!)で、いろいろなゲームをダウンロードしては遊んでいました。
そのなかで、ひときわおもしろかったのが『魔女と勇者』でした。この作品はちょっとレトロな8ビットテイストのアクションゲームで、石に変えられてしまった魔女を連れて、勇者がその元凶であるメデューサを倒しに行くというストーリーになっています。敵は魔女を倒しに来るので、勇者は敵に体当りして戦います。魔女はたまに復活し、Lボタン・Rボタンで動かせるようになります。復活した魔女は魔法を使って勇者を助けてくれるのです。
まずこの単純なアクションが、意外と奥深くておもしろい。ゲームオーバーになると、思わず「あー、もうちょっとだったのに!」などと、自然に声が出てしまいます。
そして、最後のメデューサとのラスボス戦。ここからはネタバレですので、これからプレイしたいという人は読まないほうがいいかもしれません。しかし、どうしてこのゲームをおもしろいと思ったかに深く関わる部分なので、ここでは書かせてもらいます。
そう、メデューサに出会うと、魔女はメデューサに取り込まれてしまうんです。これまで必死に守ってきたのに! メデューサの攻撃は圧倒的で、一見すると勝てる気がしません。しかし、以前魔女を動かしていたLボタンやRボタンを押してみると、どうでしょう。メデューサが火を吐く方向をコントロールできるのです。
魔女はメデューサに取り込まれてしまったけれど、意識はかろうじて残っている。そしてメデューサに少しだけ干渉して、勇者を助けようとしているんです。この仕掛けに気づいた瞬間、「このシンプルなゲームにまさかこんなドラマチックなラストがあるとは!」と、ジーンとしてしまいました。
■ゲームのおもしろさを追求してひと工夫を
ちょうどそのとき、僕は発売元としてニンテンドー3DSのプラットフォームで発売するためのゲームを探していました。この『魔女と勇者』をぜひ移植して発売したい! むしろ自分が遊んでみたい!! そう思った僕は、すぐにゲームの開発者に連絡しました。
聞くと、先方は大阪に在住とのこと。数日後には東京から大阪に向かい、開発者の方に「フライハイワークスからニンテンドー3DS版をリリースさせてください」とお願いしに行きました。
緊張しながら「このゲームは本当におもしろいから、絶対にニンテンドー3DSでも売れると思う」と伝えると、意外なほどあっさりと快諾してもらえたのです。あのときの彼の決断がなければ、そして『魔女と勇者』のヒットがなければ、今のフライハイワークスはきっとありませんでした。開発者の方には、今でもとても感謝しています。
さて、iOSのゲームをニンテンドー3DSに移植するにあたって、ステージ数などの要素は基本的には元のままですが、こちらで工夫した部分もあります。たとえば、勇者が敵にぶつかって倒れたとき。iOS版では、自然回復を待つしかありませんでした。時間が経つと、体力が回復して動けるようになるのです。
一方、ニンテンドー3DS版はレバガチャ(※1)をすると、勇者から汗が出てきて、もがきながらも少し早めに立ち上がる、というギミックを入れました。これは1984年に出たファミコンのゲーム『エキサイトバイク』からヒントを得ています。
(※1)レバガチャ……アーケードゲームのレバーを、ガチャガチャ音を立てて激しく動かす行為。転じて、レバーがないゲームでも、十字キーやボタンを激しく入力することをレバガチャと言うようになった。
こう書くと往年のゲームファンならすぐにピンとくると思いますが、『エキサイトバイク』では、転倒してバイクから人が投げ出されるとレバガチャすることによって少しだけ早くバイクに戻ることができました。ただ単に待っているよりも、何かやることがあるほうがゲームとしてもいいですし、プレイヤーの「早く復活してほしい!」という気持ちを高めることもできます。これを応用したのです。
しかし、レバガチャで早く復活するだけだとiOS版よりも難易度が低くなってしまいます。そこで、回復の度合いを調整することで、ゲームの難易度は変わらないよう調整しました。
こうした細かな工夫は入れていますが、そうはいっても『魔女と勇者』が大ヒットしたのは、ひとえにゲームそのものが持っていた力です。このゲームは、「今のNintendo Switchのダウンロードゲームなどと比べても遜色ないくらいおもしろい」と断言できます。
このヒットを受けて『魔女と勇者』はシリーズ化し、昨年末には『魔女と勇者Ⅲ』という最新作をリリースできました。
■海外のゲームを日本でリリースするときの、名付けのこだわり
さあ、『魔女と勇者』が好調な滑り出しを見せたあとのフライハイワークスとしての2作目。お次はドイツのとある開発者さんが作り上げた『Gunman Clive(ガンマンクライブ)』を日本向けにローカライズすることにしました。
「Clive(クライブ)」は主人公のガンマンの名前です。つまり『ガンマンクライブ』は『スーパーマリオ』シリーズと同じタイプのタイトル名だといえますね。
でも、日本のゲームユーザーにとっては「クライブ」が主人公の名前であることがわかりにくい。そこで、日本版は『ガンマンストーリー』という名前で出すことにしました。
この『ガンマンストーリー』は最終的には日本地域だけで18万ダウンロードという、『魔女と勇者』を超える大ヒットになりました。これももちろん、ゲーム自体がおもしろいからなのですが、タイトルをわかりやすく変えたことも少しは影響を与えられたんじゃないかなと思っています。「自分が自分が」の話の域になってしまいますが。
ローカライズする際のタイトル付けは、フライハイワークスが常に考えている部分の一つです。たとえば、ポーランドのゲームスタジオが開発した『2 Fast 4 Gnomz』。このタイトル、はたしてどう読むのか、そしてどんな意味なのか、パッと見ただけではわかりませんよね。
『2 Fast 4 Gnomz』は白雪姫に出てきそうな小人風の妖精が、ひたすら走って障害物などをクリアしながらゴールを目指すアクションゲームです。それを踏まえて考えると、2は「too」で「あまりに」とか「~すぎる」という意味を、そして4は「for」を暗喩しているといえます。Gnomzはその妖精を指す単語なので、つまるところ『2 Fast 4 Gnomz』を日本語的に意訳すると「Gnomzには速すぎる」という意味になるわけです。このままだと、ちょっとわかりにくいと思いませんか?
そこで僕は、ゲームタイトルを『ゲキヤバランナー』に変更したんです。比較的わかりやすくなったかと思います。いや、まだわかりにくいかもしれませんが(笑)。理由は、妖精の顔がなんだかヤバそうだし、キャラクターが走るゲームだということをひとことで伝えたかったからです。
『ゲキヤバランナー』というタイトル名は、のちに任天堂さんから「このタイトルは誰が考えたんですか?」と聞かれたこともありました。ドヤ顔で「僕です!」と答えたのは言うまでもありません。
ボニーちゃんがブランチワゴンで料理を作るゲーム『Bonnie’s Branch(ボニーズブランチ)』は『ブランチ☆パニック!』に変更しました。これで幾分かは日本のユーザーさんにわかりやすいようになったかと思います。
たぶん『ボニーズブランチ』のままでも、料理のゲームだということはなんとなくわかります。でも、このゲームの最大のおもしろさである「どんどん注文が入るなかで、慌てずすばやく調理をこなす」という部分が表現できていないと思ったのです。そこで、タイトルに「パニック」をつけ、サイトでは「あたふた系タッチクッキングゲーム」というキャッチコピーで紹介しました。やはり、パッと見でのわかりやすさは重要です。
■社長(初心者)、後払いの税金に苦しむ
上で紹介したタイトルは、すべて2013年にリリースしたゲームです。2013年は合計で9本のニンテンドー3DS向けダウンロードゲームをリリースできました。
ヒットもたくさん出たのだから、さぞかし儲かっただろう……と思いきや、そんなことはありません。入ってきたお金は次のゲームを出すために使っていたからです。いわゆる自転車操業。大きな支出があると、口座のお金が5桁を切ってしまうこともありました。そのタイミングでオフィスの家賃の引き落としがあり、ポケットマネーでとりあえず払ったこともあります。
さらに僕は、会社としてのお金のやり繰りのことをほとんど知らずに社長になってしまいました。そのため、会社として消費税をどういうタイミングで払うのか、源泉税がどのように発生するのか、そういったこともまったく知りませんでした。そう、これらの税金はすべて後払いなんですよね。税金のおそろしさを身をもって知ったのは、まさにこの翌年のことになります(苦笑)。
正直にいうと、今でも会計分野は得意ではありませんし、まったくもって興味が持てません。税理士さんとのアポイントの時間も、極力短くしたい。会計は、僕にとって野球の守備時間みたいなものなんです。いくらがんばっても、ここでは点が入らないんですよね。経営として会計が大事だということは理解しているのですが、どうにもテンションが上がりません。
……と、このころは慣れない社長業に苦戦していましたが、創業当時に何もやることがなく、
深夜コンビニの帰り道で嘆息していたときに比べたら、天国のようでした。やることが、やりたいことが、山ほどある。ようやく試合に出られている。そんな充実感でいっぱいでした。
(第6回につづく)